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短歌タイムカプセル-前田透 感想

書肆侃侃房 出版 東直子佐藤弓生・千葉聡編著 「短歌タイムカプセル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

 前田透

 

分去の名はかなしくて吾を責む才なき者文学を捨てよ

 

 真剣に文学に向き合うと、そう感じる瞬間はあるだろうなと思います。というか、何でもですけど…。学問なり仕事なりに真剣に向き合うと、このまま自分は何者でもなく終わるのか、と捨ててしまいたくなる時がありますよね。文学の場合、たった一言、たった一文字の言葉の美しさやその選び方に打ちのめされることはあるだろうなと想像します。

 

盲目の犬はフェンスにつき当たりしばし虚空を見据えていたり

 

 これも想像すると寂しいな…。私の空想では、晴れた日で、ちょっと埃っぽい場所で、フェンスの向こうにあるのは廃墟になった工場です。

 

 ちなみにこの人は歌人前田夕暮の息子なんですね。前田夕暮

 

おごそかに隔つるもののあるをおぼゆ愛すといへど恋ひすといへど

 

好きです。

 

 

文学を弄びをり才なくば悲しき私的玩具となして (yuifall)

 

 

 以下、個人的なことをだらだら書き連ねている駄文です↓

 人生の節目で何度か短歌にはまりながらも結社に入ったりどこかに投稿したり賞に応募したり短歌を通して誰かと交流したり、そういう批評を受ける場に自分の短歌を出さない理由は何だろう、って時々考えることがあって、まあ現実的には実生活とそういったことの両立をするキャパシティが自分にはないし、性格的に飽きっぽいのでいつも短歌ブームが短期間で終わってしまうっていうのもあるのですが、この人の歌読んでもっと精神的なところで理解した気がします。私は「才なき者」だからだ、って思いました。「文学を捨てよ」って誰かに言われたくなくて、だからいつまでも「悲しき玩具」として手元に置いておきたいんだ、って思った。

 本当はどんなど素人であっても、「ここをこうした方がいい」とか「これはどういう意味なんだ」とか指摘をもらいながら作品の質を上げていった方がいいのは分かり切っているし、自分の思考の及ばない領域から色々アドバイスをもらえたらいいなって思うこともあるのですが、そこまでして自分の短歌のレベル上げる意味って?とか思ってしまってモチベーションが上がらないんですよね…。賞獲ってる作品とか本物の歌人の歌とか読んでると、あーこのレベルにいくのは無理やなってなんか勝手に納得してしまって駄目です。。投稿したってどうせ賞とか獲れんやろって思うし。本業でも「才なき者学問を捨てよ」みたいな気持ち満々なのに、趣味までそんなかかわり方したくないなって…(だから坂井修一とか岡井隆とか永田和宏とか心底すごいなって思う)。

 なんか、荻原裕幸の感想の時に「以前my短歌ブームが来た時はポストニューウェーブにはそれほどはまらなかった」って書いたんですけど、よく考えるとはまらなかったというよりも、読めなかったのかなという気がします。多分自分も若くて自意識が過剰すぎたから、若い人の才能を目の当たりにするのがしんどかったんだと思う。でも今は全然、どの人の歌を読んでも楽しいなって思うし、すごいなとか好きだなってまっすぐ思う。これは多分、歌人になりたかったらダメなんだと思うけど、鑑賞する側としては楽になったし楽しいです。

 あと単に最先端が好きじゃないっていうのはあります。最先端のものって情報量が多すぎるし疲れてしまう。5年10年以上たってまだ残っているものを鑑賞するスタイルでいいか、って。

 それから、短歌そのものも好きですけど短歌の鑑賞文とか解説文を読むのが好きで、というか単純に誰かの感想とか考察を読むのが好きなので、短歌とのかかわり方として、私はずっとそういう辺縁にいるだけでいいやって気がしてます。こうやって書き散らかしてるだけでわりと楽しいです。