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「一首鑑賞」-126

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

126.十四インチ望遠鏡のレンズいつぱいに這入つて来た巨大な月!

 (前田夕暮

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で都築直子が取り上げていました。          

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 もちろん歌に惹かれてリンクを踏んだんですけど、まさか前田夕暮の歌だとは思わなかったし、鑑賞文がめちゃくちゃ面白かったです。まず、前田夕暮が1883年生まれということにびっくりしました。明治生まれですか。鑑賞文に

 

二十一世紀現在の読者はともすると、斎藤茂吉の歌が文語なのは、茂吉が昔の人だから、と考えがちだ。だが、茂吉が文語歌を作るのは、そのスタイルを選んだからであり、明治の昔から「文語定型だけが短歌の表現ではないだろう」と考え、実行する人々は存在した。前田夕暮の『水源地帯』は、そうした流れの中に位置づけられる。パッションの強さは他の追従を許さない。

 

こうあります。「いつぱいに這入って来た巨大な月!」ですもんね。まあ、穂村弘『ぼくの短歌ノート』で斎藤茂吉

 

うつくしきをとめの顔がわが顔の十数倍になりて映りぬ (斎藤茂吉

 

という歌などを読んで、

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斎藤茂吉を含めて当時の人の歌もかなり自由だなとは思いましたが…。

 

 鑑賞文ではさらに「!」のついた歌

 

えたいの知れない感情が空をながれる――瓦斯タンクの肝臓ヂストマ!

 

うしろでに縛りつけられてゐながら、ふてぶてしく空を睨んでゐる奴!

 

などを複数引用し、

 

感嘆符「!」だけを取っても、考えるまえにまずやれという方針だ。どしどし付ける。椎名林檎の曲の歌詞にしたらよさそうな歌となる。

(中略)

やりたい放題! どのうたにも! 感嘆符をつけてっ! 劇画のっ! 吹き出しのようにっ!! なってゆくうううっ!!!

この不屈の探求心。八十年後の自分おちおちしていられないぞ、と短歌作者として思う。

 

とあって笑いました。都築直子さん、面白いですね。やりたい放題!楽しいな。やっぱり楽しいのが一番だし、短歌は好きにやらなきゃ!って気になりました。

 

 最近(これは2022年の春頃)ごくまれに俳句も作っていて、あと二次創作短歌とか俳句も作ったりしていてまあやりたい放題なんですけど、また某漫画キャラをモチーフに

 

朧月今宵ぞ恋を告ぐらむか

 

って句作って、でもこれが完成形だといまいちだなーって色々こねくり回していて

 

朧月今宵の恋を告ぐらむか

 

朧月今宵ぞ恋と告ぐらむか

 

どれがいいかなって色々考えていたら頭がパンクしてきて

 

朧月今宵恋よと告ぐらむか

 

だとどうかなーって(「こよい」「こいよ」で駄洒落にした)、さらに

 

朧月今宵来ひよと告ぐ恋よ

 

だともっと駄洒落ですね。

 もともとそんなに言葉遊びとか好きな方ではないのですが、駄洒落とか取り入れるのも楽しいなってふと思いました。でも、「!」とか「〇〇よ!」とかの境地にはまだ達してないな…。そういうのって、ほんと内側から湧き上がるパッションがないと言えなくないですかね?

 

 ところで俳句はいくつか作ってもどれもこういう細かい言い回しが全然ハマらなくて、これはセンスがないと駄目だなと心底思いました。どれがいいのか全然分からん。マイナーチェンジを繰り返してもどれもいいとは思えず、そもそも「月」って言ってるんだから「今宵」はいらないんじゃ??って気もしてきて、最終的にはもうテーマとか全てがつまらなく感じて全てを破壊したい衝動にかられ、結果的に「今宵」を抜いて

 

来し方に言葉告げざる朧月

 

としてしまいました。

 

 やりたい放題で楽しんでるっていう話だったのになんじゃこりゃ。

 とりあえず短歌は椎名林檎風に作ってみました。

 

 

追従の位置(ポジション)必要でしょう現在(いま)手錠の興行(ショウ)なら貴方が依々わ (yuifall)

椎名林檎『真夜中は純潔』&DNCE『Be Mean』)

 

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