山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
中山明
かなしみにおぼれるやうにたしかめるやうにあなたの掌に触れてゐる
この人は『短歌タイムカプセル』でも取り上げられている、
ひぐらしが鳴くまで きみに初めてのながい唇づけをしてしまふまで
の人ですね。全体的にやわらかい口語ですが、初期の作品は文語文体だったようです。
寝ころびて午後のうさぎを待ちてゐるアンニュイをほそき雨は埋めつ
普遍的に存在する猫! をおもひゐつ 哲学と云ふはかなしかりけり
みたいな感じです。この「普遍的に存在する猫!」ってシュレーディンガーの猫のことだろうか?解説ではこの人の初期の文語短歌を「文語文体にリアリティを感じる最終世代」「ニューウェーブの萌芽」と書いています。その後口語に移行したことを「最終世代のカーテンコール」、そして最終歌集が黎明期のインターネット上に無料公開されたことを
非日常的言語への想像力を喪失して80年代が終わったのと同じように、やはり何かある種の言語への想像力を喪失して90年代は終わるはずなのだ。その「何か」に、インターネットというツールは大きく関わるはずだ。
と書いています。
最後の歌集「ラスト・トレイン」には別れの歌が多いようで、
もうぼくはここにはゐない 校舎から自動オルガンの賛美歌が聞こえる
という感じです。「ラスト・トレイン」は1996年の歌集みたいですが、元のページにも載っているリンク先から全部読めます(ここにも貼っておきます)。
http://www.ne.jp/asahi/kawasemi/home/neko1234/neko1234.htm
オンライン歌集「ラスト・トレイン」
「歌のわかれ」の経験者、短歌を離れてしまった歌人の例として名よく前が挙がる人のイメージがありますが、結局その後戻られてはいないのでしょうか。
とほく手はとどかせることない 愛が心が何を赦すのだらう (yuifall)