「一首鑑賞」の注意書きです。
346.背中から十字に裂ける蝉の殻 生きゆくは苦しむと同義
(伊津野重美)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで黒瀬珂瀾が紹介していました。
生きることというより、肉体があることが苦しみの根源なのではないかと思ったりします。AIに心があるかって考えた時、ないなって思うのは、AIの言葉が何かの寄せ集めだからという事実よりもむしろ、AIには肉体がないからだと考えたことがあります。言葉があっても肉体がなく、痛みや苦しみを知らなければ、心なんてあると言えるだろうか。(ところで痛覚がない病気があるらしいですが、痛覚がない人だって身体がある限りそこからは逃れられないと思う。むしろ痛みがないことで苦しみは増すのでは。)
この間カラオケ行った時一緒に行った人が DECO*27とピノキオピーの『神っぽいな』って歌うたってて、「人生のネタバレ「死ぬ」っぽいな」って歌詞あったんですが、これは「ネタバレ」=「オチ」と勘違いしてないか。オチがネタバレじゃないことはいくらでもあるよね。犯人があらかじめ分かってる倒叙ミステリみたいなもんだよ。探偵によって犯人が暴かれる「オチ」はネタバレじゃないじゃん。実際人生のネタバレは死じゃないよね。それはみんな知ってるし、みんな同じだもん。そうじゃなく、生きること、生きて苦しむことそのものがネタバレなんだと思う。ああ、マジかってなるでしょ。内容も人によって違うし。
人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ (寺山修司)
だよね。人生は生のネタバレにすぎぬと。
ほんの一週間ほどの命を、大きな声で鳴きつくす蝉たち。地中から這い上がり、殻から脱皮するその行為は、残りわずかな命を燃え上がらせる口火であり、同時に、死への出立でもある。蝉の成虫の命は短く、その生きざまが激しく感じられるからこそ、生と死の交錯がより強く感じられる。空蝉の背中に残る十字の裂け目は、新たな生を地上に送りだした痕跡であり、そして、小さな死を宣告する十字架の墓標でもある。
と、鑑賞文にはありました。蝉は長く幼虫として土中で過ごし、羽化して一週間で生殖して死にます。逆に人間は生殖適正期間を過ぎてからの人生がなぜこんなに長いのだろう。
今夜堕つ蝉の声降る赫々と生キルノコワイ死ヌノハツライ
という歌も引用されていました。
エクソンはゲノムの1%にすぎない生きるとはただ繰り返すこと (yuifall)