左右社 出版 山田航編著 「桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表」 感想の注意書きです。
中澤系②
いや死だよぼくたちの手に渡されたのはたしかに癒しではなく
これは「癒し系」みたいな言葉が流行った時代の歌なのかなぁ。1998年から2001年にかけての歌集のようですが、この頃の時代の空気のひりついた感じを思い出しました。世紀末のあのひりついた焦燥感。その時代に出会ってたら多分この人の歌にのめり込んでただろうと思います。
ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ
という歌が歌集のラストのようですが、編者は
これをフィナーレにするのは作者自身の意図ではないかもしれない
と書いています。この人は副腎白質ジストロフィーで亡くなられていて、こういうちょっと壊れた感じの歌が真に迫るのはやっぱり作者の背景があるからかなって気がします。そうじゃなければ、どうしても嘘っぽい感じになると思う。身体の自由もきかなくなっていって、思考も失われていく、実際に自分がまさに壊れていっていることをむき出しに詠われて、本当に苦しい気持ちになります。
ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』を思い出した。知能が高くなっていくにつれてどうしても、あるいは逆説的に、肉体的存在であることを意識せざるを得なくなる苦しさとか、自分が壊れていく、研ぎ澄まされた思考が失われていくのを目の前でまざまざと見ることの痛みとか、それでも生きる道を選ぶ覚悟とか。
でももしかしたらそのスピードが違うだけで、これは普遍的な感覚なのかもしれません。誰でも人生の中で思考が研ぎ澄まされている時期ってあって、それが失われていくのを感じながら生きていくのかも。
だけど、ミック・ジャガーが70歳を過ぎてもロッカーであるように、あるいはエド・シーランが「僕はもうSNSを熱心にやらない、30歳を過ぎた僕の音楽が10代の若者に届くとは思えない」って宣言したように、自分の一番研ぎ澄まされた何かが失われたと感じてからの人生にだって希望はあるはず。
この人は病気じゃなかったらこんな歌を詠むことはなかったのかもしれない、と思いながらも、でももし生き続けていたら、どんな言葉が生まれたんだろう、って考えます。遺伝病だし治療法もないしどうしようもなかったのは分かるんですが、本当に悲しいですね…。研ぎ澄まされた思考なんてなくなっても、言葉を生み続ける人生があってほしかった。
山田航は、肉体が衰えても中澤の思考は失われなかったと信じたい、と書いています。でも、副腎白質ジストロフィーは中枢神経系の脱髄疾患なので最後は思考が失われる病気だし、中澤系はそれを知っていて、実際にそれを感じていたと思う。だからこういう歌が生まれたんだと思います。
そんな中で
こんなにも人が好きだよ くらがりに針のようなる光は射して
という歌もあり、胸が締め付けられました。これだけディストピア的な世界観を孕んでいても、人が好きだって真っすぐ言ってしまえる心の強さと彼の人生にあったであろう「光」を思って。
からだから逃れられない思考だけbinaryの海に溶いても (yuifall)
人間のようにぼくらは奪い合う 目を閉じたまま縋ってごらん (yuifall)
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