左右社 出版 山田航編著 「桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表」 感想の注意書きです。
中澤系
この人の歌は読んでいてすごく苦しかったです。むき出しの傷口を見せられてるみたいで、痛かった(イタイじゃなくね…)。なんていうか、ジェームス・ディーンとかカート・コバーン、チェスター・ベニントン(的な人たち)を見てるような感じなんですよ…。若くして死へ疾走していく魂というか。
解説で山田航は
刃のようにぎらついた焦燥感に、ぼくは夢中でページをめくった。(中略)身体の自由はあったけれど、世界に阻まれるように部屋に閉じこもっていたぼくにとって、中澤系は一つのともしびだった。
と書いています。また、この本で
大学を卒業して入った会社はクビ同然で退職することになってしまい地元の札幌に戻った。(中略)もう短歌しか面白いと思えるものがないくらいに心が死んでいた。
とも書いています。多分、こういう挫折の真っただ中にいる20代くらいの人に一番刺さる歌なんじゃないかなって中澤系の短歌を読んでいて思いました。言葉がぎりぎりで、研ぎ澄まされていて、同じ傷を抱えている時、人生のそういうフェーズでこの歌に出会ったら心を奪われるなと思います。
手の中にリアルが? 缶を開けるまで想像してた姿と同じ
これ読んだとき、京極夏彦とか森博嗣の作品を初めて読んだ時の気持ちを思い出しました。『姑獲鳥の夏』が1994年、『すべてがFになる』が1996年かー。実際に私が読んだのはもっと後ですけど、空気感が似てるなって。それこそ解説にあるように、インターネットがみんなのものになり始めた時代の空気なのかもしれません。リアルがあると信じて缶を開けてみたけどそこには手で触れるリアルなんてなかったんだ、っていう、なんていうか言わば銀色の絶望です。
ハンカチを落とされたあとふりかえるまでをどれだけ耐えられたかだ
なんかも、死を連想させるディストピア感があります。
類的な存在としてわたくしはパスケースから定期を出した
この人の短歌を説明するキーワードとして、複数の人が「システム」という単語を用いています。この歌なんかは「システム」に取り込まれている自分、無名の弱者としての自分を見ているとも読めるのかもしれません。解説には
デジタル化する世界のシステムのなかで、ぼくたちは、自らの身を守るために、生きてゆくために、思考停止を強いられている。(中略)しかし中澤系は思考停止を拒んだ。かといって被害者意識にまみれて世界を攻撃することもできなかった。
と書いています。
だけど、本当に「システム」の中で「思考停止を強いられている」ことを拒む歌なんだろうか。この人は副腎白質ジストロフィーで亡くなられています。そもそも「システム」の中にいることができなかった人なんじゃないかって思うんです。類的な存在としてパスケースから定期を出せる人は、中澤系にとっては社会的強者だったんじゃないだろうか。歩けて、自動改札機を通れて、「定期」を持って通う場所があるんだから。山田航も、この時、自分が「システム」からはじき出されていると感じていたからこそ中澤系に共感したんじゃないかな。
「システム」が具体的に何を指すのか分からないのですが、「システム」的なものはマジョリティのためにあるはずで、大部分の人間はそこにある「システム」的なものの恩恵を受けているはず。でも、特に青春期の人は、「システム」の中で「思考停止を強いられている」というより、自分は「システム」からはじき出されている、と感じている人の方が多いんじゃないかって気がします。だからこそ中澤系の歌に共感するんじゃないかなって。だけどそこには本質的な埋められない違いがあって、多分「システム」からはじき出されている、と考えている多くの人は実際には「システム」の恩恵を受けているはず。でも中澤系は実際にその中にいられなかった人なんだと思う。
私は青春を過ぎた大人として中澤系の短歌に出会って、自分が「システム」の中にいない、そこから弾かれている、そういう無力感に打ちひしがれていていいのはモラトリアムの時期だけであって、むしろ「システム」の中にいられる、マジョリティでいられる人は、自分を「思考停止を強いられた被害者」と認識してはいけないんじゃないかと思いました。
ていうか、「システム」という単語がすでに思考停止なんですよ。システムって何なの?それを誰が形成していて、誰を対象としていて、どう作用しているのか、って考えたら、どこかにその境界はあるはずで、その判断は常に人為的であるはず。
中澤系の歌も、正岡豊と同様、若い人に出会ってほしいなって思います。同じ歌を読んでも、人生のどのフェーズで初めてその歌に出会うかで感じ方は全然違うと思うから。私は中澤系の歌にのめり込んでいい時期をとっくに過ぎてから出会ってしまったと感じました。
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