「短歌と俳句の五十番勝負」 感想の注意書きです。
忖度をし合ひ差しあふ冷酒かな (堀本裕樹)
出題者はジャーナリストの方で、堀本裕樹のエッセイによると、森友学園の問題で「忖度」という言葉が注目された後に出されたお題だそうです。それまで「忖度」というのはあまり日常語ではなかったのですが、俳句の世界では、「おもんばかる」というどちらかというとポジティブな意味合いでよく使われていた言葉なのだとか。
僕は善心的な文脈で使っていたから、この問題で「忖度」という言葉が汚されたように思えてちょっと悲しい。たとえば、句会の選評なんかで、「この句のなかであえて省略されている作者の気持ちを忖度すると」、といった感じである。俳句は十七音しかものが言えず、省略されている部分が多いから、句意を推察することが多々あるのだ。
と書かれています。
確かにそうですよね。俳句や短歌で作者の意図を読み取ろうとするのも、「忖度」なのかもしれません。
この句については、本人がこのエッセイで「悪い場面にも良い場面にも受け取ることができる」と書いています。上司と部下の関係にも見えるし、娘の父と恋人にも見えるし、談合の場面にも見える。「冷酒」という季語の冷たさも「悪い響き」に感じる、と書いてあります。
このエッセイを読んで、
スエヒロで婿と舅が酌み交わすうまさけ美和を扱いかねて (大田美和)
が頭に浮かびました。この「うまさけ美和」は冷酒だったのかな、それとも違うのかな。やっぱり、「あたたかい場面」と考えると熱燗とかぬる燗がイメージされがちで、
「冷酒」という季語もこの句ではなんとなく悪い響きが感じられる。
という「読み」は分かるような気がします。
状況的には確かに悪い意味での「忖度」、当時の世論を反映したイメージが示唆されるのですが、でも「悪い場面にも良い場面にも受け取ることができる」ことは俳句の一つの魅力だよな、ともやっぱり思います。「うまさけ美和」はすっとキレがいい冷酒だったのかもしれないよね。
時々は誰かのために生きてみて「おすすめ」リストは忖度まみれ (yuifall)