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「短歌と俳句の五十番勝負」感想37.着る

「短歌と俳句の五十番勝負」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

濡れ衣を着せられしまま秋の蜘蛛 (堀本裕樹)

 

 この句のエッセイはかなり気持ち悪いです…。気になる方はぜひ本でどうぞ。ちょっとここに転載するのが躊躇われるレベルというか…。でも、句はいいなと思いました。エッセイの最後にこうあります。

 

 東京のアパートでは、ときどき小さなハエトリグモを見かける。ちょこちょこ歩いているだけなので可愛いものだ。けれども、蜘蛛というのは、どこか無実の罪を背負わされているような暗い気配を引きずっている。秋になると、ことにその暗影が増すようだ。

 

 蜘蛛、確かにちょっと「罪」の匂いしますね。なんでかな。見た目かなあ。もしくは、『蜘蛛の糸』(芥川龍之介)からの連想でしょうか。別に蜘蛛が罪人というわけじゃないのに「罪」を背負わされている感じ、「濡れ衣を着せられる」という言葉がしっくりくるような気がします。でも、「中心にいて糸を引いている」存在と考えると、無実の罪とも言えないのかなあ、黒幕なのかな、って感じもするな。京極夏彦の『絡新婦の理』思い出しました。

 

 あえて「秋の蜘蛛」として、「秋になると、ことにその暗影が増すようだ」というあたりに俳句ならではの凄みを感じました。季節を意識するとぐっとイメージがつかみやすくなります。ちなみに「秋 蜘蛛」で検索すると、夏ではなく秋こそが蜘蛛の繁殖の季節であるらしいのですが、

 

蜘蜘何と音をなにと鳴く秋の風

 

という松尾芭蕉の句が検索に引っかかりました。多分俳句を嗜む人なら常識的に知っている句だと思われ、こういう作品が底にあって「秋の蜘蛛」の句が出来上がったのかなあ、と考えました。この松尾芭蕉の句は、枕草子にある、蓑虫が秋に「ちちよ、ちちよ」と鳴く、というエピソードへの返歌だそうです(枕草子 第四十一段)。蓑虫が「父よ」と鳴き、蜘蛛はなんと鳴くのか、と。

 

 俳句は(短歌もですけど)短い分、作品自体には含まれていない背後の情報が膨大にあるのだということを改めて考えさせられました。そしてそういう重層性を持った句や歌を「読む」あるいは「詠む」ためにはもっと過去の作品を知ることが大切だなと思わされました。

 

 

制服をそうするように肉体も着たり脱いだりしてみたいよね (yuifall)