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「短歌と俳句の五十番勝負」感想24.文鳥

「短歌と俳句の五十番勝負」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

文鳥の水浴びが光る球をなすというあなたの部屋を思えり (穂村弘

 

 これ、短歌は一読しただけでは意味がよく分からなくてそのままスルーしかけたのですが、添えられていたエッセイがすごくよかったです。作者解説なんて野暮という意見もありますけど、これは解説付きで読んだ方がいいのかも、と思いました。

 

 この歌、歌の主人公が「あなた」の部屋のことを思っている、という作りで、「あなた」の部屋では文鳥が水浴びをするときに水飛沫が球のように飛び散って光るらしい、という伝聞のかたちになっています。でも、面白いのは、穂村弘

 

 そんな<私>が実際にその部屋を訪れて、「文鳥の水浴び」を見たらどうなるだろう。たぶん、「光る球」とまでは思えないんじゃないか。詩歌においては経験が常に力になるとは限らない。知らないから詠える、知ったら詠えない、ということがあるのだ。

 

と書いていることです。<私>は多分「文鳥の水浴びが光る球をなす」とは感じないだろう、と思いながら、<私>が「あなたの部屋」に思いを馳せる歌を詠うというかなりメタな状況です。自分と作中の<私>が完全に解離しています。つまりこの歌において穂村弘は「あなたの部屋」を思う<私>ではなく、「あなたの部屋」を思う<私>を見守る私なわけです。これはすごく小説っぽい作り方だなあと思いました。

 

 二次小説を時々書くのですが、キャラクターAの視点からはキャラクターBの行動がこういう意味合いに見えるだろうからこういう感情が引き起こされるだろう、とか、キャラクターCは子供だからこの状況に対する理解はこの程度だろう、とか、視点によって理解度や解釈を変えて描写するのは小説ではごく普通にすることだと思います。でも、短歌でそこまでの視点を持ち込んだことがなかったので、反省しました。

 ここで穂村弘が言っているのは、「あなた」は文鳥を愛しているから文鳥の水浴びが光る球をなすように見える、でも<私>はその文鳥に今のところそんな思い入れはないから水浴びが光る球をなすようには見えないだろう、でも<私>は「あなた」への思いがあるからまだ見ぬ文鳥の水浴びのイメージが増幅して感じられる、という読み方ですね。

 これまで読んできた短歌も、もしかしたらそういう目線で読み返してみればまた違った発見があるのかもしれない、と考えさせられました。

 

 

文鳥は嫌 もし僕が死んだって笑ってそうな鸚鵡がいいよ (yuifall)