「一首鑑賞」の注意書きです。
9.あなたへの供物のように澄んでいるくつぬぎ石は五月の庭に
(早坂類)
どこで出会ったのか思い出せない歌です(穂村弘の『短歌という爆弾』だったかも。。)。かなり長いこと忘れていたのですが最近ふと思い出して、ずーーっと、「くつぬぎ石」って何のことなのか分からなかったのですが、ググったらあの縁側とかに置いてある石、「沓脱石」のことだそうです。そうだったのか…。なんか勝手に「賢者の石」じゃないけど、架空の鉱物をイメージしてた。『クレヨン王国』(福永令三)みたいな感じの。
しかし、紹介しておいてなんですが、全然解釈はできません。五月の庭に「沓脱石」が澄んでいて、それがあなたへの捧げもののようだ、ということなのだから、あなたが訪れてくれるのを待ってくつぬぎ石を磨いておいた、ということなのかもしれず、くつぬぎ石がある広い庭のある家に住んでいて思い人の訪れを待つ古風な女性がイメージされるのですが、一方で早坂類の短歌といえば
どんなにか遙かな場所から僕にくる風の吹く日にベランダにいる
かたむいているような気がする国道をしんしんとひとりひとりで歩く
が多分有名で、「僕」って一人称を使って透明感があるけどどこか切実に痛々しい歌を詠んでいるというイメージだったので、この歌もそんな単純な解釈ではないのではないか、という気もしていて…。そもそも「供物」だから、ただの捧げものではなくて「生贄」的なものなのかなぁ。でも「くつぬぎ石」だしなー。
結局何が言いたいかというと、分からないのですが好きなので載せました。それだけです…。
なすすべもなくここに来た誠実をモース硬度であなたは測る (yuifall)