「一首鑑賞」の注意書きです。
8.世界ばかりが輝いてゐてこの傷が痛いかどうかすらわからない
(山田航)
砂子屋書房「一首鑑賞」で吉野裕之が紹介していた歌です。
砂子屋書房「一首鑑賞」のコーナーはいつもアーカイブから歌の一覧を眺めていて、気になる歌をクリックしてリンク先に飛ぶのですが、そのページに入るまでは基本的には誰の短歌なのか分からない作りになっています。だから、知っている歌を「この歌はどう解釈されているんだろう」って思って見てみることもあれば、「この歌は誰の歌なんだろう」って思って読んでみる時もあります。
吉野裕之の紹介する歌で、いいなー、誰の歌なんだろう、と思って歌人名を知らないままクリックしてみたのが笹井宏之や枡野浩一の歌で、ああやっぱり好きだなって思ったのですが、その中で特にこの一首に心惹かれました。山田航の歌です。
『桜前線開架宣言』、『現代歌人ファイル』とずっと山田航の解説したアンソロジーの感想を書いてきたのですが、
桜前線開架宣言 カテゴリーの記事一覧 - いろいろ感想を書いてみるブログ
現代歌人ファイル カテゴリーの記事一覧 - いろいろ感想を書いてみるブログ
一方で本人の歌は本人が紹介していないので、このブログでは『短歌タイムカプセル』以来触れずに来てしまいました。でも、歌人名を知らずに歌がいいなって思って見てみたら山田航の歌だったので、何だかちょっと嬉しくなりました。
この気持ち、すごくよく分かるし、しかももうすでにこの歌が完璧だからこれ以上言葉で説明できない。吉野裕之の解説もすばらしくて、
『さよならバグ・チルドレン』は、読みはじめるとすぐに、いい歌集だと実感できる、そんな一冊だ。そしてまた、読みはじめるとすぐに、痛ましい、そんな気持ちが湧き上がってくる。不思議なことに、それはそこに置かれている作品たちに対してでも、著者に対してでもない。そう、読者である私、正確にいうと、何年も前の、10年も20年も前の私に対して、こうした気持ちが湧き上がってくるのだ。
これ、ほんと分かる。「世界ばかりが輝いている」「この傷が痛いかどうかすらわからない」これは、青春以前のティーンエイジャーだった私、思春期だった私の抱えていた「痛み」そのもので、やっぱりもうこれ以上説明できません。多分、子供だったことのある人なら誰でもわかるのではと思います。
吉野裕之は最後に
しかし、世界が輝いていなかったら、この傷が痛いかどうかわかるのだろうか。おそらく、わからないと思う。世界が輝いているか、輝いていないかではなく、私たちの身体の力が衰えていることが問題なのだ。そして、このことに多くの人が気づいていない。
こう書いています。
うん。もう、世界は輝いてないし、傷は瘢痕になってしまいました。そして傷がまだ生乾きだったころの世界を「輝いていた」と思ってる。だけど、多分もう世界が輝くことはないんだけど、生々しく傷つくことはこれからもいくらでもあるのだろうと思います。そしてその時、自分には、その傷が痛いかどうかわかるんだろうか。それは分からない。
息ができない 大人になってもそう思うよ 何度も思うよ 命賭けるよ (yuifall)