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短歌タイムカプセル-山田航 感想

書肆侃侃房 出版 東直子佐藤弓生・千葉聡編著 「短歌タイムカプセル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

 山田航

 

たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく

 

 わお。ロスジェネ世代です。こういう現代的な諦念には素直に共感できていいです。戦争とか、震災とか、直接的に人の命を奪うものについては関わり方の違いによって気軽に触れていいのかなって気が引けることが多いのですが、こういう世代感みたいな悲惨さは分かるー、って真っすぐ感じてもいいんだよなって思う。この歌集出た時30歳前後のようですね。地元にいて、なんかぱっとしないけどまあ何となくやってて、このまま年取んのかなみたいな閉塞感が軽やかに伝わってくる感じです。ただ、共感する一方で、私には絶対詠めない歌だなって思いました。

 

 この歌読んで本当に色んなこと考えました。すごい素直に読むとやっぱり「親の収入を超せない」=親よりも不幸せ、「ペットボトルを補充してゆく」=自分は取り換えのきく存在、といった閉塞感を感じるのですが、この歌では実際は「収入を超せない」「ペットボトルを補充」についての幸-不幸については論じていないので、別に不幸ではないのかもしれない。親と同じ収入にしてやるから親の生きてきた時代と同じ生活しろって言われてもそれを選ぶやつはあまりいないだろうし。当時より、より便利なものが相対的に安い値段で手に入るわけなんだから(携帯電話のことなんか考えてみてください)、収入が下がるのは考えてみれば当たり前な側面もあるんだろうし。お金=幸せ、という価値観はすでに前時代的なのかなって感じました。

 多分、お金=幸せだった時代って人類の歴史の中で高度経済成長期のせいぜい50年間くらいだけだったんじゃないのだろうか。「親の(時代の)収入」は当時の幸せの象徴的なものだったのかもしれないけど。三高、庭付き一戸建てみたいな。

 

 また、「ペットボトルを補充」の閉塞感についても、大量生産されたものを補充する、自分がreplaceableな存在であるという感じを受ける一方で、でもそういう感じって親の時代はなかったのかなって考えると、むしろもっと「歯車」的だったのかなという気もしないでもなく。また、親の時代はドロップアウト=社会的死だったわけで、ドロップアウトしてもペットボトルを補充しながらスマホYoutubeとか見てる「僕」と、24時間働いて収入が高かった「親」とどっちが幸せなのかっていうのはもう本当に個々人の価値観の問題な気がします。

 

 それから、ジェンダー論的な意味合いで批判するつもりは毛頭ないんですが、これは「僕(男性)」と「(父)親」のストーリーだよな、とも思った。だって私と、私の年齢の頃の母親の年収を比較したら私の方が上だもん。まあ「親の収入」というのはおそらく「世帯収入」的な意味合いで、

「(自分の年齢の頃はすでに結婚していて、母は専業主婦だった)両親の世帯収入」>「(未だ独身の)僕の収入」or「(共働きの)僕たちの世帯収入」

という意味だと理解しているのですが。でもこれもさー。家庭を犠牲にして働く男&専業主婦の女、という社会に押し付けられた組み合わせで得た世帯収入に私は幸福を見出すことができないよ。もちろん主体的にその生活を選ぶことを批判はしないし(専業主婦批判ではないです)、そこに幸福を見出すことを否定したりはしない。ただ、それは一つの選択肢であるべきで、それ以外は選べないっていうのはやっぱり嫌だし。

 

 山田航本人は、こういう状況、自分が取り換えのきく存在であると感じさせる閉塞感から、短歌を詠むことでおそらく抜け出したんですよね。多分、「ペットボトルを補充している」誰もが、自分のアイデンティティをどこか別の場所に持っているのではないだろうか?

 まあとはいえ『コンビニ人間』(村田沙耶香)読んでると、別に「ペットボトルを補充」に自分のアイデンティティを見出してもいいわけですし、ほんと、どこにアイデンティティや幸せを見出すかっていうのは個々人の問題になりつつあるなと。社会にステレオタイプな幸福を押し付けられるよりいいんじゃないかとも思うのですが、実際収入が同世代の平均をはるかに下回っていたらそんな風に考えられるか分からないし、なんとも言えないですね。

 

 私個人は社会的ドロップアウトの経験もなければ「ペットボトルを補充してゆく」に近い感覚を抱くのも難しいし、上に素直に共感できるって書いたけど、でも実際このことに関して批判であれ同情であれ感情を寄せるのはおこがましいような気もしています。お前に言われたくねーよって感じになっちゃう気がする。でも、こういうこと言ったらほんと綺麗事と思うかもしれないのですが、結局のところ幸福というのは究極的には自分の心の中にしかないっつーか、身も蓋もない言い方すれば自己満足なんだろうと思ってます。

 

 色々書きましたがちょっと笑いの要素が入ったダウナー感が好きです。「ペットボトルを補充」がほんと絶妙な感覚なんだよね。これが「オレオレ詐欺の受け子してゆく」とかだったらさー(笑)。犯罪やん、というよりも、親世代から財産を奪い取るというジェネレーション間闘争のメタファーみたいになってしまってなんつーかアグレッシブなんですよね。「ペットボトル」のパッシブな笑いがないんですよね。

 

鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る

 

とかさ。この冷めた感じ。改札通るお金もったいないしやめとくか、みたいな。リアルに死にそう感出されるとちょっと引いてしまいますが、「あー死にたいなー。でも改札通るのだるいなー」みたいな感じでときめく(笑)。

 

 あとこれも自分には絶対に作れない歌だなって思ったのは

 

べたついた悪意とともにつむじから垂らされてゆくコカ・コーラゼロ

 

ですね。。これ、実体験なのかなぁ…。頭から何か液体をかけられたのが実体験かどうかは分かりませんが、コカ・コーラゼロは創作だといいなってなんとなく思ってます。そこが一番エッヂが効いてるから(笑)。ほんと、言葉のセンスがいいですよね。

 

 個人的には、この『短歌タイムカプセル』で山田航を知って、『桜前線開架宣言』、あとはホームページの『現代歌人ファイル』と読んできて、この人の短歌だけじゃなく、短歌の解説のファンになりました。ていうか素人には歌集一気読みはけっこうしんどいものがあるので、特に解説付きのアンソロジーってとてもありがたいんですよね。。いつもありがたいなって思いながらホームページ読んでるし今でも日参してます!ネットの片隅で愛を叫ぶ!

 

ちなみにサイトはこちら トナカイ語研究日誌

また、このブログでも『桜前線開架宣言』『現代歌人ファイル』感想書いてます。

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口コミを眺めて今日も終わってく まだ精神科には行ってない (yuifall)

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