「一首鑑賞」の注意書きです。
292.大根で撲殺してやると思ひたち大根買つてきて煮てゐたり
(藪内亮輔)
最初にこの歌と出会ったのは確か山田航の『桜前線開架宣言』ですが、今回砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで山下翔が紹介していて、面白かったので再度。
この歌と最初出会った頃は、短歌を超久しぶりに読み始めていた時期で、若手歌人や有名歌人のこともあまり知らず、『短歌タイムカプセル』や『桜前線開架宣言』で出会った歌にただひたすら圧倒され続けていました。この歌もそうです。めちゃくちゃ面白いし、こんな歌詠む人がいるんだ、っていう事実にただただ圧倒されたのを覚えています。だから、「読む」までいってなかったと思う。ただ「感じる」だけで。
この歌の鑑賞文にかなりぐっときたのですが、一部だけを抜き出して引用します。
大根は、たとえば輪切りにすれば、もう撲殺にはむかない。だからそのだれかへの殺意もいちどは失われたのだが、しかしこの「煮てゐたり」にこもるしずかな怒りは見過ごせない。果たされなかった殺意が、煮込まれてさらに深いものへと変質していく。
ああ、そうだよなーって思った。面白いっていうよりも、この情念を読むべきだったよなと。
多分、この歌の主人公は、自分が相手を本当に撲殺しないことは分かっていたんだと思う。だって、本当に殺そうと思っていたら大根は買わないだろう。でも、撲殺しうるポテンシャルのあるものを買ってくる。そこが大事なんです。同じ「煮る」という結果に終わるものでも、人参や玉ねぎじゃダメなの。じゃがいもは、まあ、ネットとかにたくさん入れてぶん殴ればちょっと凶器っぽいですが、それも違う。なんか衝動的に握りしめて頭をぶん殴れるような感じのもの。
この「大根で撲殺してやると思ひたち」からは、スーパーで買い物をしていて、ふと大根を見て…、というのとは違うと思う。最初から、「よーし大根で殴るぞ」って決意してスーパーに行き、大根しか買ってこない感じです。他のものには一切目もくれず。で、そこで相手の家に行くわけでもなく、家に帰って大根を切って煮たんだと思うんですが、もしこれ、帰り道に相手と出会っていたら撲殺してたんだろうなって思う。薄っすら、「別に殺しには行かないけどもし万が一会っちゃったら殺そう」とか思ってたんじゃないかな。今会ったら多分衝動は抑えきれないだろう、くらいは思っていたと思う。でも当然そんなドラマみたいなことは起こらず、家について、大根を切って煮る。
この光景、冷静に思い浮かべると結構怖いというか、まず包丁を握って切るわけですよね。ここで、今度は大根がその相手になっているような感じがする。すぱっ、すぱっ、って切って、ぐつぐつ煮るんですが、大根に何かが染み込んでいくんです。ほんと、「大根」の絶妙さがすごいですね。
ところで短歌で「大根」というと絶対に
大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけてあり (花山多佳子)
を思い出すんですが、こういう人は情念を煮込んだりしなさそうだなと思ってしまった。この「大根」に込められたものはなんだろうな。あんなでかくて重いものを忘れるなんて。いや、でかくて重いからこそ忘れたのか。立ち話とかしてて、ちょっと置いて、そのまま。こんな歌好きになるしかないだろ、ずるいなあ、って思ってしまいます。
その白をあるいはメッキの白塗りを憎んだ日々が今では遠い (yuifall)