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「一首鑑賞」-108

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

108.やめようときめたのは尖端ではないのだらう蔦があんなところで

 (平井弘)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で石川美南が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 これを読んで、蔦はいったいどこが伸びているのだろう、と考えました。そして、「伸び終わる」ことってあるのだろうか。なんとなく尖端が一番若いのかと思っていたけど、下の方が伸びているのだとしたら尖端が一番古いのだろうか。

 調べたら、どんどん先へ伸びていくのが長枝で、壁面を覆いつくしてしまうと、これ以上つるを伸ばすのは光合成の効率が悪いので、短枝に切り替えて葉を出すそうです。「やめよう」ときめたのは、じゃあ、どこなの?

 

 この歌は、情景としては蔦の尖端が建物の上の方とかどこかに取り残されていて、先端に至るまでのツルは取り除かれていて、「あそこで伸びるのをやめようって決めたのは尖端ではないだろうに、結局あんなところに取り残されてしまっている」と思いながら眺めているのだと思います。ですが、それはおそらく比喩的なことで、例えば集団で万引きとかしてるような不良のグループがいて、誰かが見つかって一斉に逃げ出したあとで取り残される人、みたいなものを想像しました。

 まあ「尖端」なのでどちらかというとプロジェクト的なものかな。一番一生懸命取り組んでいたプロジェクトリーダーみたいな人がいて、何らかの都合でその企画が中止になって、一人だけ気持ちを切り替えられずにいる、みたいな。

 鑑賞文には

 

しかし、この歌は単に蔦のことを言っているのだろうか。蔦に託して、全然別のことを暗示しているような気もする。たとえば、時代の尖端を行く研究が予算の都合で「やめようときめ」られてしまうことは、決して珍しくない。

もちろん、解釈を一つに絞る必要はない。蔦のことを言っているのか、それとも別の何かのことを言っているのか、判別しがたい混沌とした雰囲気こそが、この歌の持ち味なのだから。

 

とありました。また、

 

平井弘の第一歌集『顔をあげる』(1961)は、「戦争を生き延びてしまった少年」が大きなテーマになっていた。

 

とあり、もしかしたらこれは戦争についての歌なのかもしれない、と後から考えました。「尖端」はおそらく海に散った一般の兵士たちで、「やめよう」ときめたのは彼らではなかっただろう、と。

 

 

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