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「一首鑑賞」-106

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

106.鳥ならばずっと飛ばずに嘴で何かを伝え合っていたいよ

 (本川克幸)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で染野太朗が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 読んでいてなぜかとても切ない気持ちになりました。「鳥」になりたいっていうと、「この大空に翼を広げて羽ばたきたい」みたいな一種定型文みたいなところがありますが、鳥になってもずっと飛ばないんですね。でも、だったらヒトのままでいいじゃん、ってことでもない。「飛べるのに飛ばない」っていうニュアンスもあるし、言葉ではなくて「嘴で」伝える、っていうのはやっぱりヒトのままじゃ駄目なんですね。

 それにしても、鳴き声ですらなく、嘴で。これは、ついばみ合うとかそういうことなのかな。でも「キス」ってわけじゃない気がする。唇よりも硬い「嘴」で、伝え合おうとする「何か」って何なんだろう。「伝えたいよ」じゃなくて「伝え合っていたいよ」っていうことは、自分の願望だけじゃなくて相手にも何かを要求していると読んでいいのでしょうか。でも、「伝え合っていたいね」じゃなくて「いたいよ」っていうあたりが、一方通行な感じがする。これら全部を合わせて、切ないような気がしたのかもしれません。

 

 鑑賞文には

 

伝え合って「いたいよ」。これが「いたいね」「いたいな」「いたいぞ」「いたし」……というふうだったらどうだろうと考えている。たとえば「いたいね」だと、実際に相手に語りかけているにせよそうでないにせよ、ずいぶん雰囲気が甘くなる。「伝え合っていたい」というよりも、そのように言うことでふたりだけの世界を確認する感じ、というか。「いたいな」だとそれが自分寄りになる。自分だけで妄想してしまっている感じ。ところが「いたいよ」だとずいぶんニュアンスが違う。僕が感じたのは、切迫感だった。うすい涙とともにあるような切迫感。

 

とありました。

 「いたし」だったらどんな感じになるのかなぁ。自分はわりと軽い口語で歌を作ってしまうことが多いのですが、全く同じ(自作の)歌を文語に変換しようと試みたりすることがあります。他人様の歌に対してそれは普段しませんが、仮に試みるならば

 

汝と吾と鳥なればつと飛ばぬまま伝へ合ひたしただ嘴をもて

 

みたいな感じか?

 いやー多分もっとうまい言い方あるとは思うのですが、文語というか古語を使うと言葉が圧縮されますね。しょうがないから「あなたと私」とか「嘴だけで」みたいな言葉を足してみましたが、もとの歌では「あなたと私」ではない可能性もあり、蛇足感が半端ないです。それから、「伝え合っていたいよ」の「うすい涙とともにあるような切迫感」のニュアンスはなくなりますね。

 

 文体って面白いなーと改めて考えました。

 

 

切り取ってくれてありがと、羽なんかなければ飛べない言い訳になる (yuifall)