百人一首現代語訳 感想の注意書きです。
七十七・瀬をはやみ岩にせかかる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ
瀬の流れが速いので、岩にせきとめられても水は分かれてまた一つに合流する。そのように、かならず将来あなたに逢おうと思う。
恋人よ!
いつかかならず再会しよう!
私は熱い目で見つめている
岩に激突してまっぷたつに割られた滝川が
走って走って
一本の川になるまでを
(さ・え・ら書房 『口語訳詩で味わう百人一首』 佐佐木幸綱)
流れ落ち 岩に砕ける 滝川さ
別れはしても 最後はまた会う
ぼくらまた逢へるはずだよほら岩にわれた早瀬がもどつてゆくよ (山田航)
この歌、わたし的には完全にgleeのS3のラストシーンです。NYADAに一人合格したレイチェルをNYに送り出しながら、フィンが「行けよ。運命ならいつかは結ばれる」って言って別れるシーン。お互いに思いはあるのに状況によって引き裂かれる、というのがこの歌の内容にぴったりだなーと思っていつもその場面を思い出します。
しかしながらこの元の歌は別に恋の歌ではなく、権力闘争に敗れ、今に見てろよ!的な内容だそうです。橋本治の解説が面白く、
「一度は退位したけれど、またの機会だってある」と言っているように見えます。自分がもう一度即位するのか、あるいは、自分の息子を天皇にするのか。でもその願いはかなわなくて、崇徳上皇は保元の乱に巻き込まれます。それは崇徳上皇の軍隊と関白忠通の軍隊の戦争でもあります。その戦いに敗れて、崇徳上皇は四国の香川県(讃岐)に流されます。そして、そのまま死ぬのです。
だそうです。
この歌を読みながら、こうは言っているけどおそらくはもうもとの流れには戻らないのだろうな、と感じるのはこういった事情があるからでしょうか(それともFinchelを重ねているからなのか…)。というか、「また逢う」のはおそらく天国でってことだろうな、って感じますよね。
俺を捨てて行きなよ街の灯のもとへ運命ならばまた会えるから (yuifall)