山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
嵯峨直樹
粘膜は小さく開きやわらかな月のあかりに照らされている
ぬるい水下腹にきざす 髪の毛がさかなのように匂いはじめる
性愛に関する歌が多数引用されており、「作風の大きな柱のひとつ」とされています。岡井隆の影響下にある歌だそうです。
月光が照らしはじめる駅前の放置自転車 もう来てもいい
これ読むと、さんざん今まで読み方に悩んできた岡崎裕美子の
したあとの朝日はだるい自転車に撤去告知の赤紙は揺れ
を思い出します。
ぼくの短歌ノート-「するときは球体関節」 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ
短歌タイムカプセル-岡崎裕美子 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ
「放置自転車」のやり捨て感が…。「もう来てもいい」って呼び寄せるのは都合のいい女に感じられますが、どういう意図なんでしょう。
万札を吸い込むだけの機械だろアホなサインをちかちかさせて
これは面白いですね。パチンコ?スロット?ですかね。パチンコそのものを詠った歌に初めて出会ったかもしれません。「アホなサイン」って身も蓋もなさすぎます。
世界消灯、世界消灯、アナウンス聞こえくる朝制服を着る
これとかも好きです。この「制服」はおそらく仕事の制服で、「世界消灯」って言われている朝も出勤の準備してる、ってことですよね。この感じ、分からないでもないです。巨大地震とか大型台風とか来ても出勤しちゃう日本人の社畜スピリットですね。
〈炎上〉のブログに蟻は群を成す 甘い正義にありつきたくて
僕たちは過剰包装されながら受け入れられておとなしくなる
こういう社会詠みたいなのもあります。解説には
むしろ都市に暮らすことの不条理、システム社会に組み込まれることへの反抗がテーマ
社会の最大公約数的な倫理や感性といったものを否定し、ときに排泄物や「粘膜」などの身体のどぎつい最前線を持ちだしてくる。社会から押し付けられない、目の前のたった二つの生身の身体。社会システムの不条理さを暴き立てることで本当に描き出そうとしているのは、確かにいま持っているはずの、身体感覚のリアリティなのではないかと思う。
とあります。
まー、個人的には、繰り返し書いているように、「社会システムへの反抗」というテーマはあまり好きではない、というか、システムって何だろうって思っていつもそこで立ち止まってしまう。Wikipedia先生によると、「社会システム理論」とは
社会システム理論は社会をシステムの観点から読み解こうとする理論である。
(中略)
ニクラス・ルーマンはパーソンズから引き継いだ社会システム論と、1940年代から1950年代に生まれたシステム理論とに加え、オートポイエーシスの考え方を導入し、第二世代の社会システム理論を切り開いた。
1.システムとは、複数の要素が互いに相手の同一性を保持するための前提を供給し、相互に依存し合うことで形成されるループである。
2.システムは自己の内と外を区分(境界維持)することで自己を維持する。システムは「システムと環境の差異」である。
3.システムは複雑性の縮減を行うことで安定した秩序を作り出す。すなわち、あるべき状態を予期し、その状態に適合しようとする。
4.ひとつのシステムはそれを孤立したものとして認識すべきではない。システムは外部環境が存在する場合に意味を持ちうる。
とありますので、おそらく皆が「反抗」したいのはこの3番かな(笑)?俺を単純化・予期して社会に適合させないでくれ、という。
でも本当にシステム社会に組み込まれたくないですか?
赤んぼの頃から俺のおしっこはおむつを宣伝するために青い
コンビニに正しく配置されているあかりの下の俺は正しい
街じゅうの監視カメラに注視され撰ばれてある恍惚とする
とかの歌、
社会全体に届けられるための情報は、いつもあらかじめ漂白された〈正しさ〉をまとって大衆に供給される。その〈正しさ〉に居心地の悪さを覚え続け、漂白しようとする世界に抵抗を図る。「コンビニのあかり」や「青いおしっこ」「過剰包装」などにはそういった不機嫌さと、強い意志が込められている。
ってあるけど、本当に漂白された世界から出たいかなあ。ありのままの排泄物がTVに写ってるとことか見たい??まあ、そういう人もいるとは思いますが、多くの人はコンビニ使わず、布おむつで山奥で生活したいってわけじゃないはず。これは現代社会の戯画化に過ぎないんではないかと私は思ってますけど、どうなんでしょう。
そういえばメイクしたまましないよね、きみの素肌の塩素の匂い (yuifall)