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小林恭二 『短歌パラダイス』感想 2-7「恋」

『短歌パラダイス』感想の注意書きおよび歌合一日目、二日目のルールはこちらです。

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 七番勝負は「恋」です。「恋」って題、1日目もあったけどこれってお約束なんですかね?漠然としていて作りづらそうですね。。

 

雨音と海の音とが溶けあいてそのように君を抱く伊豆の宿 (一郎次郎)

雲は音符のたしかさに炎え(もえ)青年よきみはいかなる古代のコーダ (七福猫)

君知るや鳥籠蹴りて文鳥を騒がせているわたくしのこと (ぐるぐる)

 

 

雨音と海の音とが溶けあいてそのように君を抱く伊豆の宿 (一郎次郎)

 

 「一郎次郎」の歌は、分かりやすいです。伊豆の宿にいて、雨音と海の音が溶けあって聞こえて、僕(もしくは私)も君と溶け合おう、と。それ以上どう読んでいいかよく分からず…。

 というか、歌謡曲っぽいですよね。演歌っぽいです。過去の議論では「短歌は歌謡曲っぽくても(ベタでも)いい」みたいな論調があったので、別に悪くないんじゃ、と思っていたのですが、読んでいるとその辺がけなされていたのでどこまでのベタさが許されるのかよく分かりませんでした(笑)。

 まず小林恭二

 

 作者はおそらく、ただ単に、雨音と海の音が溶けあうように抱き合っている恋人たち、というのを描きたかったわけではない。作者はむしろ、そこに至るまでの時間を描きたかったのだ。

 この恋人たちは、最初から抱き合っていたわけではない。彼らの前にはまず痛いほどの沈黙があった。沈黙があったからこそ、宿の外で雨音と海の音が溶けあってゆくのが、わかったのだ。逢った瞬間に盛り上がって抱き合うような二人なら、外の様子なんぞわかるはずがない。

 二人はたぶん、ある種の緊張関係にあったのだろう。

 

と、書いており、ああー、そういうことかー、と。で、伊豆に関しても、この歌合をしているのが伊豆だから、挨拶歌だろうと書いています。その上で、

 

 しかし全体の流れから読むと「伊豆の宿」はいかにも軽い。コマーシャルっぽくなってしまっている。これでは「そのように」がどれだけよくても勝負できない。残念ながらここまでの歌だろう。

 

と断じています。コマーシャル!そうかー。歌謡曲はよくてもコマーシャルはダメでしたか…。これ、伊豆市とかが主催した「伊豆短歌コンクール」とかだったらどうなんですかね?その場合ちょっと「君を抱く」は使えないかな…。

 

 

雲は音符のたしかさに炎え(もえ)青年よきみはいかなる古代のコーダ (七福猫)

 

 「七福猫」の歌は、ぱっと見よく分かりません。

 「雲は音符のたしかさに炎え」という上の句を読んで思い出したんですけど、超田舎って夕方5時に音楽流れますよね…。農作業してる人向けに(笑)。私が知っている田舎では『遠き山に日は落ちて』だったのですが、それを思い出してしまった…。「雲が炎え」るんだからおそらく夕方だろうし、「音符のたしかさ」だから、音楽が鳴ってるんでしょ?しかも「たしかさ」っていう言葉からは、あまり揺らぎのない音楽、つまり生演奏じゃなくてレコード的なものがイメージされます。

 「青年よ」を挟んで下の句は「きみはいかなる古代のコーダ」なんですが、「コーダ」がいまいちピンと来なくてググったところ、イタリア語で「尾」を表す言葉で、ひとつらなりの楽章の終結部分に相当する領域だそうです。つまり、Jonas BrothersのWho’s In Your Headでいうと

 

In your head still, baby

In your head, while you're sleepin'

In your head still, baby

In your head, while you're sleepin'

 

に相当する領域ですね(笑)。

Who’s In Your Head (Jonas Brothers) 和訳 - いろいろ感想を書いてみるブログ

 「青年よきみはいかなる古代のコーダ」だから、あなたはどのような古代の楽章の終末部分なのですか、ということになり、「青年」は古代の終わりを象徴する特有の存在ということになります。

 うーん、「恋」がテーマであることを考えると、わたしが「雲」なのかな。で「青年」が「コーダ」であり「たしか」な「音符」なんです。だから、恋人はわたしの「古代」、つまり恋を知らない日々の「コーダ」≒終末的な存在で、わたしはその「たしか」な思いに「炎え」ている、という。

 ほんと超解釈ですが、あなたと出会って恋を知ったの、あなたはどのようにしてわたしをこれほどたしかに燃え上がらせたの?みたいな意味かなーとか思いました。

 

 しかしながら、議論を読むと、そんな超解釈をせずとも「よく分からない」という結論のようです(笑)。

 

・「雲は音符のたしかさに炎え」は無理。最低の意味すら通じない(加藤)

・この音符が音のひびきなのか、かたちなのか、それすらわからない(道浦)

 

 ここで作者が「音符のたしかさ」は「絶対音の確かさ」のことである、と言ってしまっており(笑)、それに対して更に

 

・だったらなぜ絶対音と書かずに「音符」と書いたのか(穂村)

・措辞に対する考え方が甘い(小池)

 

とボロクソです。。

 うーん、「絶対音」と分かったところでどう読めばよいのだろうか…。やっぱり「あなたが絶対音で演奏される古代のコーダである」と解釈するしかないような…。

 

 

君知るや鳥籠蹴りて文鳥を騒がせているわたくしのこと (ぐるぐる)

 

 「ぐるぐる」の歌は分かりやすいのですが、何じゃそりゃ感が強いな。なんで鳥籠蹴っちゃうの??これは「蹴る」以上にどう解釈すればいいのか分からん。。ツンデレヒロインみたいな感じでしょうか。文鳥の鳥籠を蹴りつけて「どうして分かってくれないの?」って…。小林恭二

 

 恋する相手に振り向いてもらえない娘が、文鳥にちょっかいをかけているというところまでは悪くない。少なくとも目をうるうるさせて、「一郎さんたら、なんでわたしに振り向いてくれないの」と、小鳥に話しかけるよりは、ずっとさっぱりしているし、リアリティもある。

 だからと言って鳥籠を足でがんがん蹴るのはどうか。単に凶暴な娘が、小鳥にやつあたりしているようにしか見えない。普通の青年であれば、「君知るや」などと言われても「知りたくない」ときっぱり答えるはずだ。

 

と書いていて笑いました。てか、リアリティはないよね(笑)。鳥籠蹴らないでしょ…。どっちかというと漫画っぽい表現なのかなーと思いましたが、1996年と考えると、これは惣流・アスカ・ラングレーな感じだろうか?

 

 

 この3首から1首選ぶとしたらどうしようかなー。。私の超解釈で「七福猫」かな。この議論を読んじゃうと、あ、解釈できないんだ、って思ってしまうのですが、私は好き勝手に読んだので…。というか他の2首はあまり解釈の余地がないし、その上「伊豆の宿」も「鳥籠蹴りて」も入れづらいから「七福猫」しかないなーと思いました。

 

 「一郎次郎」は俵万智、「七福猫」は水原紫苑、「ぐるぐる」は梅内美華子でした。

 水原紫苑の歌、個人的にはこの歌合に限らず常に難解なんですが、どうして今回に限ってこんなにケチがついたのか逆によく分からん。むしろ普段の歌はみんなきちんと解釈できているということ??それとも単に歌合だから、対戦チームの歌にケチつけただけ??

 

 

全身が震える導火線になるあなたの指の下焼け落ちる (yuifall)