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小林恭二 『短歌パラダイス』感想 2-13「塗り絵」

『短歌パラダイス』感想の注意書きおよび歌合一日目、二日目のルールはこちらです。

yuifall.hatenablog.com

 十三番目は「塗り絵」です。

 

「はだいろ」は誰の肌色なよなよの塗り絵ドールが四肢ぬれという (一郎次郎)

はとむねのはとこといとこキマイラのぬり絵の上と下を分け合う (七福猫)

理不尽の死者るいるいと塗りつぶす黒き塗り絵の「殉教」をいかが (ぐるぐる)

 

 

「はだいろ」は誰の肌色なよなよの塗り絵ドールが四肢ぬれという (一郎次郎)

 

 「一郎次郎」の歌は分かりやすいです。なよっとした感じの女の子の絵が描かれていて、おそらくかわいい洋服を着ているんだけど、顔と四肢が露出している。そこで色を塗ろうとしたところで、はたと気付くわけです。この肌、何色に塗ればいいんだろう?肌色って何色?

 「なよなよ」という語感と対照的に「四肢ぬれ」っていう語気が強めで、「あなた、わたくしを何色に塗って下さるのかしら」って試されているような感じ。「なよなよ」「塗り絵」「ぬれ」ってリズムもいいし、変な色に塗っちゃいたくなります。青とか緑とか紫とか、ポリティカルコレクトネスを追求されない色に(笑)。しかし、1996年と今と「はだいろ」は誰の肌色、のあたりの議論がそれほど変わっていない印象なのがちょっと残念ですね(歌ではなくて、時代が)。

 

 

はとむねのはとこといとこキマイラのぬり絵の上と下を分け合う (七福猫)

 

 「七福猫」の歌も、音韻ですね。「はとむね」「はとこ」「いとこ」と。「キマイラ」が、「はとむね」(鳩人間のイメージ)、「はとこといとこ」(血の微妙な近さ)、「ぬり絵の上と下」のいずれにもかかっている感じがします。

 ただ、個人的には、「キマイラ」ってわざわざ合成してんのに「上と下」で分けちゃったらつまんないなーって思ったりして…。だって、例えばケンタウロスの上だけ塗ったらただの青年の上半身だし、下だけ塗ったら馬の首から下ですよね?「キマイラ」って分けないからこそいいんじゃないの、って気がする。そこんとこどうなんでしょう?

 

 

理不尽の死者るいるいと塗りつぶす黒き塗り絵の「殉教」をいかが (ぐるぐる)

 

 「ぐるぐる」の歌も「理不尽」「るいるい」「塗り絵」とラ行の音がかぶさってきます。意味と音の組み合わせが畳みかけるようで迫力があります。解釈としては小林恭二が言うように

 

 要するに、一面に「理不尽の死者」が描かれており、それをただ黒く塗ってゆく塗り絵を「いかが」と読者に薦めているのだ。

 その名も「殉教」とか。

 

ということでしょう。

 私がちょっと引っかかったのは、「黒き塗り絵」ってところです。塗り絵って、自分の好きな色に塗るものですよね?黒い塗り絵なんてないよ。意味と重ね合わせると言いたいことはすごくよく分かるのですが、それでも、押し付けられてる感じは否めません。

 

 

 個人的には「一郎次郎」一択です。「四肢ぬれ」って言われているところ、やっぱり「色は自分で決められる」っていうのが塗り絵らしさだと思うし、「キマイラ」の塗り絵は分けない方がいいのでは、って思っちゃう。あと、「なよなよの塗り絵ドール」って言い方めっちゃツボにはまった。

 

 「一郎次郎」は十時由紀子(岩波の人)、「七福猫」は東直子、「ぐるぐる」は奥村晃作です。「一郎次郎」の歌だけプロの作品じゃないって知った後でも、やっぱりこれが一番だと私は思います。これに関しては誰が何と言おうと私の感じ方がダメなんじゃなく、この歌がうまいからだと言い張りたい!

 

 

赤ちゃんを描いてあげるね銃を持つ少年たちの塗り絵の腹に (yuifall)