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小林恭二 『短歌パラダイス』感想 2-3「浅葱」

『短歌パラダイス』感想の注意書きおよび歌合一日目、二日目のルールはこちらです。

yuifall.hatenablog.com

 第三戦は「浅葱」です。薄い緑と水色が混じったようなあの色ですかね。

 

低く泛く浅葱のいろの糸とんぼ大きな足はまたいでゆけり (一郎次郎)

浅葱縅の鎧も黙り終せたり筆頭家老金丸の信 (七福猫)

この度も徐目沙汰無くほころびてあさぎざくらは裏庭に生ふ (ぐるぐる)

 

 どの歌も難しくて読み通せる気がしないのですが…(笑)。

 

 

低く泛く浅葱のいろの糸とんぼ大きな足はまたいでゆけり (一郎次郎)

 

 「一郎次郎」が一番分かりやすくて、浅葱色の糸とんぼが低く飛んでいて、その上をまたぐ、という意味でしょう。糸とんぼが「浅葱いろ」なのは、水面すれすれを飛んでいることの暗示かもしれません。これは自分では読みが難しく、解説を見てそうかぁ、と初めて分かったのですが、小林恭二によると

 

・「泛く(うく)」の使い方が見事。「低く浮く」では台無しになる。

・「大きな足」は北原白秋

大きなる足が地面(ぢべた)を踏みつけてゆく力あふるる人間の足が

という歌からだろう。我々が普通サイズと思っているものを「大きな」と決めつけることで、小さな者たちの世界が眼前に広がってくる。

 

と書いています。

 そうか…。北原白秋の歌を知らずして語れませんね。もっと近代の歌をよく知らないと現代の歌も読み切れないなぁと反省しました。

 

 また、味方チームの小池光が

 

・トンボをまたぐというのはこれまで詠まれていない。こういう些細なことを鮮明に描けるのがチームの真面目(しんめんぼく)である。

 

と指摘しています。

 

 

浅葱縅の鎧も黙り終せたり筆頭家老金丸の信 (七福猫)

 

 「七福猫」の歌は、1996年に病没した自民党の政治家、金丸信を詠ったようです。ググるまで知りませんでした。。時事詠だからある程度は仕方ないかもですが…。金丸信は山梨出身で、武田信玄に喩えられることが多かったとか。だから「鎧」なんですね。つまり、自民党の大物であった金丸信の浅葱縅の鎧も、主人の病没によってついに沈黙した、と。

 

 小林恭二は「金丸信が浅葱縅を着るタマかよ」と書いていますが(笑)、水原紫苑

 

・緋縅ではなく浅葱縅であることがポイント。年を取っているから逆にしゃれている。ダンディズムである。

 

と言っています。

 

 ちなみに「浅葱」は平安時代には身分のあまり高くない第六位の官位を指す色で、江戸時代にも田舎侍の色とされたそうです。これは金丸信が地方の政治家であるということを暗にほのめかしているのか、それとも政界のドンであったにも関わらず敢えての「浅葱」である、と読めばいいのかどっちなんだろう?なんにせよ人柄や功績を知らないのでなんとも…。

 また、当時の武士は切腹時には浅葱の裃を着用していたそうで、特に新選組が身に着けていた色として有名だとか。浅葱色が人気になったのは大正以降なんだそうです。

 

 

この度も徐目沙汰無くほころびてあさぎざくらは裏庭に生ふ (ぐるぐる)

 

 「ぐるぐる」の歌は、「除目沙汰なく」だから、時期になっても任命の通知がなかった、と読めます。この「ほころぶ」はどういう意味?任命されないことを「がっかり」、と読めば、自分は(布がほころびるように)ここで朽ちてゆく、まるで裏庭に咲く花のようだ、と取れますが、「ほころぶ」って「花がほころぶ」「顔がほころぶ」みたいなポジティブな意味合いでも使われますよね。任命されなくて嬉しかったのかもしれないなーとか思いました。この春も異動の通知はなく、この家にいられる。私と同様、裏庭の浅葱桜もほころんでいる。みたいな。

 

 小林恭二は古典和歌の知識が豊富なためか、やはり「徐目沙汰無し」は「がっかり」と読んでいて、まあ、それが当然ですよね…。

 

・今度も任命の通知が来ず、なんだか自分がほころびてゆくような思いがする+裏庭に生えているあさぎざくらが咲きほころんでいる

 

と、「ほころぶ」を掛詞として読んでいます。また浅葱桜は東京で4月中旬に咲く遅咲きの桜であり、遅くともいつかはほころぶ、という希望であると解釈しています。

 

 「徐目沙汰無くほころびて」+「ほころびてあさぎざくら」と読んだ時に、最初の「ほころびる」を「ほつれる」みたいなネガティブな意味で、後の「ほころびる」を「花がほころびる」のようなポジティブな意味に読ませる、というテクニックの巧さはすごく分かります。だけど、題が「浅葱」である以上「浅葱桜」が中心にあるはずだし、そうすると「ほころびる浅葱桜」なんだから「花ほころびる」と読んだ方がすんなり読めるし、そうすると「花がほころびるように笑う」みたいなポジティブな「ほころびる」の方が解釈しやすいし、その流れでいくと「徐目沙汰なくて嬉しい」みたいになっちゃって、そういう読み方駄目なのかなぁってどうしても思ってしまいます。

 私は別にそれでもいいと思うんですよね。上述の通り、別に出世なんてしなくてもここにいられて嬉しい、って読んでもいいんじゃないかなーって。だけど「徐目沙汰なく」から連想される常識的な読み方には反するだろうし、なんか自分の中でうまく納得できないです。

 

 

 うーん、自分だったら「一郎次郎」の歌を取ります。「七福猫」はちょっと難しかったし、「ぐるぐる」は結局自分の中でうまい解釈ができなかった。結局自分の力量不足なのかもしれませんが…。「一郎次郎」は北原白秋の歌も踏まえたつくりで面白いな、と思いました。

 

 「一郎次郎」は吉川宏志、「七福猫」は岡井隆、「ぐるぐる」は紀野恵でした。

 

 

朝ごとに毟る浅葱の牽牛花伏すひとの目に留まらないよう (yuifall)