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小林恭二 『短歌パラダイス』感想 2-11「あざらし」

『短歌パラダイス』感想の注意書きおよび歌合一日目、二日目のルールはこちらです。

yuifall.hatenablog.com

 11番目の題は「あざらし」です。また動物かぁ。

 

北限のあざらしを狩れ連弾のわれらに開くピアノの翼 (一郎次郎)

世界経済わづかに傾ぐ午後を離れ手帖をあざらしに見せてゐる (七福猫)

鉄線が咲き洗濯機まわる道横抱きにしてアザラシ買い来ぬ (ぐるぐる)

 

 

北限のあざらしを狩れ連弾のわれらに開くピアノの翼 (一郎次郎)

 

 「一郎次郎」の歌は、(実在のものかどうかは分かりませんが)あざらし狩りをテーマにした曲を2人で弾いているのかなぁと思いました。「ピアノの翼」はグランドピアノの蓋が少し上がっている状態のことで、2人で連弾していると心に翼が生えたよう、っていううきうきした気持ちと掛けているんだろうなと。曲も多分アップテンポでうきうきした感じの曲で、あざらしを狩るという非日常感やスリルみたいなものが溢れてくるイメージです。

 まあ、正直、動物狩りに対して個人的にはあまりポジティブなイメージがないので「あざらしを狩れ」をどう受け止めるべきか悩んだんですが、これは小金持ちの外国人が戯れに「狩る」わけじゃなく、現地の人が食べるために「狩る」、あるいはホッキョクグマの「狩り」かなあと思ってます。だから、この2人は連弾しながらアラスカの人とかホッキョクグマになったような気持ちで心を羽ばたかせているのだろうと思いました。

 

 解説には味方チームの解釈が載ってます。

・まず「北限のあざらしを狩れ」の二句切れが心地よい。この高揚感を受けて三句の「連弾の」が綺麗にはまっている。最後に「開く」と展開し、「翼」で受けとめたおかげで、初句二句の高揚感をうまくいいとめている(加藤)

・連弾のピアノを弾いているという高揚感が、北限のあざらしを狩りに行くというイメージで実によく表されている。かたちも美しいし、内容的に豊か(俵)

 

 

世界経済わづかに傾ぐ午後を離れ手帖をあざらしに見せてゐる (七福猫)

 

 「七福猫」の歌は、今の世の中に当てはめるとコロナですかねー。新しい変異株が流行するたびに「世界経済わずかに傾ぎ」ますし。だから、「世界経済」が「わずかに傾ぐ」時って、リーマンショックとかコロナ禍の初期、ウクライナ侵攻みたいに非常事態とかいうほどではなくて、世界各地で起こる災害とか大統領のちょっとした発言とかそういうもので小幅に揺れ動く時期のことで、多分そういうのをくまなく注視しているのがふと面倒になったある午後に「あーもういいや動物園でも行ったれ!」ってなって、脂肪たっぷりの身体でごろっと横たわっているあざらしを眺めながら、俺ってなんかくだらねーことで忙しくしてて……

 ってここまで想像したんですが、この続きって何だろうな。絶対、「俺の仕事って結局どうでもいいよな」とか「あざらしみたいに生きたい」とか「あざらしはいいなぁ」とはならないんですよ。「あーめんどくせえ!」って思いながらも、世界経済からは離れられない自分のことがよく分かってる感じなんですよね。

 これは単純にトレードの世界で生きているビジネスマンが主人公の歌である、という意味ではなく、誰しもが世界経済の傾ぎからは逃れられない、というもっと幅広い観念を感じます。この後普通に、離れた「午後」に再び戻って経済が回っている世界の中に戻るんでしょう。今の時代だったら、スマホのチャートをあざらしに見せている感じでしょうか。

 

 

鉄線が咲き洗濯機まわる道横抱きにしてアザラシ買い来ぬ (ぐるぐる)

 

 「ぐるぐる」の歌は何だろう?最初「鉄線が咲き」がそもそも分からずググったところ、鉄線とはクレマチスのことだそうです。「洗濯機まわる道」なんだから、多分学生向けの古いアパートとかが立ち並んでる路地で、その辺に外置きの洗濯機が回っているのかなぁと。そこをアザラシを横抱きにして買ってくると。歌の中ではアザラシは何かのメタファーなのかもしれないのですが、すっごいでっかいぬいぐるみを連想した。昔、すっごいでっかいブタのぬいぐるみを持ってたんです。抱えるほど大きいやつ。

 私の妄想では洗濯機が外に置いてあるような古いアパートに住んでいる住民はおそらく大学生の男の人で、ぬいぐるみのアザラシを抱えて来るのは友達で(彼女じゃなくて)、だからもしかしたら酔っぱらった学生のノリかもしれんと思ったりした。漫画とかであるじゃん、いやがらせにでっかいぬいぐるみ送りつけたりするやつ…。いや全然違うだろうけど…。そもそも「鉄線が咲き」からは夜はイメージされないし。

 

 解説によれば、下の句は寺山修司

 

売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆきとき

 

を意識していると思われる、とのことです。てか、この歌を意識せずして大きいものを横抱きしてゆく歌は作れなさそうだな…。

 解説では「ぐるぐる」の歌はあまり評価はされていないようなのですが、

 

鉄線が咲き洗濯機まわる道

 

という俳句なら諸手をあげて賛成、とあって、面白いなーと感じ入りました。まあ、これだと題の「あざらし」がそもそもないですけどね…。ちなみに俳句目線で調べたところ、「鉄線」は夏の季語で、「あざらし」は春の季語だそうです。へえー。

 こういうの、ネットで調べたから分かりますけど、1996年の歌合で宿に泊まって一晩で考えるとなると言葉の意味を調べて膨らませるとか無理だろうし、本当に大変だっただろうなぁ。自分の頭の中にあるものだけではとてもひねり出せません。

 

 

 一首選ぶなら、どれですかね。最初は「一郎次郎」かなと思ったのですが、読めば読むほど「七福猫」の方に心惹かれて来たのでそっちにします(笑)。

 「一郎次郎」は井辻朱美、「七福猫」は荻原裕幸、「ぐるぐる」は梅内美華子でした。

 

 

おとうとの稚き日に寄り添ひしあざらし今は陽だまりにゐる (yuifall)