山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
滝沢亘
米兵の愛の手紙を訳しやる女の好む言葉まじへて
頒ちたるチョコを車中にて唇にすと書きよこす乙女よ再び病むな
1925年生まれ、サナトリウムで作歌し、41歳で亡くなったそうです。時代と環境をうつしとったような繊細でロマンチックな歌に心惹かれました。
本当は、文学とかで夭折をテーマにしたものはあまり好きではないんです。若くして死ぬことの美しさばかりが強調されている感じがするから。ですが、実際に闘病の末若くして亡くなられた人の言葉はそういう葛藤を越えて胸に響きます。解説にはこの人の家族については書かれておらず、妻子がいたのかどうかは分かりません。ですが、こういう歌を読むと、女性に対する優しさはどこか自分と距離がある故の優しさという感じがします。
枯れてゆく思想といへば嘘にならむひらめきやめぬ夜のブラウン管
テレビを題材にした歌がいくつか引用されています。時代的には1950年代の歌だそうですが、サナトリウムにいたからこそテレビを見る機会があったのではないか、と解説では指摘されています。
滝沢の作風は実は結構モダンで清新なものだった。サナトリウムという環境で育まれた世界観のロマン的な側面を、岡井はしっかりと捉えていたのだろうと思う。西洋的モチーフが目立つのも、テレビをよく詠んでいたことも、限られた生のなかにいながら新しい世界への興味をつねに忘れていなかったからではないかと思う。
と書かれていました。岡井隆とは「反前衛」の立場から生前は激しく論争したそうですが、死後は岡井隆がこの人の歌を積極的に評価したんだそうです。
短歌にまつわる思想とか流儀の動きを理解するのって難しいなー。包括的に学んでみたい気持ちはあるのですが。
禁犯し掌よりミルクを与へをり秘楽めきつつ粗き猫の舌
この歌なんか読み方によってはめちゃくちゃ耽美っつーか性的な隠喩に満ち満ちてるし、
われもまた stray sheep 茫々とさびしき午後の部屋に首振る
こんな英語が詠み込まれた歌もあり、当時にしてみたら「モダン」だったんだろうなと想像するんですが、「モダン」=前衛、ってわけじゃないんですよね。
前衛短歌って概念がはっきりと理解できていないです。「前衛」といい、「私短歌」といい、意味が理解できていない用語が時々あり、そのたび勉強不足だなって思うのですがなんとも。そんなにどっぷり勉強しなくてもいっかーって気持ちと単に知りたいという気持ちが入り混じっており、どっちかというと知りたいのですが、どう調べればいいのかもよく分かりません。やっぱり雑誌とかでしょうか?
サモンピンクの空は流れのごとくにてかく美しき日もさまざまに死す
第一歌集のタイトルは「白鳥の歌」だそうです。これは解説に
タイトルからして白鳥がいまわのきわに美しく鳴くという伝説からとっている。常に死を眼前に意識しながら歌に向かっていたわけである。
とある通り、要は Swan Song のことですよね。Wikipedia先生によれば、
ヨーロッパの伝承で、白鳥は死ぬ時に美しい声で鳴くと言われている。「白鳥の歌」とはつまり「瀕死の白鳥の歌」であり、人が亡くなる直前に人生で最高の作品を残すことを例えで指している。紀元前5世紀から3世紀にこうした伝承が生まれたと言われていて、ヨーロッパで繰り返し使われてきた表現である。
ということです。
作者の夭逝を前面に打ち出した解釈があまり好きでないと思う反面、「死」の表現について、病床にあって死に直面している人の言葉の強さは否定しがたく胸に迫ります。受け止める側の勝手な理解なんですよね。同じ歌を読んでも、背景を知らない時と知った後では感じ方が変わってしまう。でもそうやって夭折の歌人の歌を読むのが正しいかどうか分からないっていう葛藤はずっとあるような気もします。
肉体が死に思想が概念が死に いまを投げつけるごとき豪雨 (yuifall)