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小林恭二 『短歌パラダイス』感想 2-1「ふらここ」

『短歌パラダイス』感想の注意書きおよび歌合一日目、二日目のルールはこちらです。

yuifall.hatenablog.com

 前回までの10回で1日目が終わり、次からは2日目になります。2日目はまたルールが変わっています。幕間ではその理由や歌合にかける熱い思い、以前行った歌合で提出された歌とそのコメントなどが語られていますが、「注意書き」に書いたように歌合に提出されたもの以外の歌の引用は差し控えます。2日目ルールおよびチーム分けも「注意書き」に書いているのでご参照ください。

 

 1試合目の題は「ふらここ」。ブランコのことで、ブランコ、鞦韆、ゆさはり、ふらんど、半仙戯など、どの呼び方を使ってもいいようです。

 

流星に刺青されし闇を背に少女は空中ブランコ待てり (一郎次郎)

くるるくろくろくるるぐうゆさはりの上の曇日(くもり)に山鳩が鳴く (七福猫)

ブランコをにぎる手放し宙(そら)を飛び 大き手がしかと掴むまでを見き (ぐるぐる)

 

 

流星に刺青されし闇を背に少女は空中ブランコ待てり (一郎次郎)

 

 「一郎次郎」の歌は、意味をどう取ればいいのかなぁ。「流星に刺青されし闇」は、闇をベースにして流星が刺青のように浮かび上がる、ってことかと思います。それを「背に」っていうのは、やっぱり、刺青が彫り込まれた背中を思い浮かべます。

 でも、それに続くのが「少女」なんですよね。「少女」と「刺青」はなんかそぐわないというか、「タトゥー」みたいなファッション感もないし、どちらかというと「刻印」みたいな印象を受けます。だから、何か消えないものを背負わされた「少女」が「空中ブランコ」で別の世界に行くことを夢見ている、という感じなのかなぁと。でもその「消えないもの」は「刺青」に象徴されるマイナスイメージではなくて「流星」だし、自分の中で読みが順当につながって行かなくて悩みました。

 小林恭二

 

 問題は、この少女が空(から)の空中ブランコを待っているのか、それとも誰か素敵な男性が乗ったブランコを待っているのか、という点にある。

 空の空中ブランコであるとすれば、この少女はそのままブランコに乗って、どこか別の世界に去っていこうと願望していることになる。

 これに対して男性が乗った空中ブランコであれば、それに飛び移ることは少女から娘に脱皮することを意味しよう。

 わたしの個人的印象は前者だが、後者の読みも可能。

 

と書いています。

 

 

くるるくろくろくるるぐうゆさはりの上の曇日(くもり)に山鳩が鳴く (七福猫)

 

 「七福猫」の歌が一番分かりやすいです。曇り空の下、ブランコの上で山鳩が鳴いている。山鳩の鳴き声って面白いですよね。この「くるるくろくろくるるぐう」ってオノマトペ、好きです。それがブランコの揺れと響き合う感じで、このブランコは木製なんじゃないかなぁ、って思いました。ぶら下げているのも縄で。

 すごい妄想ですけど秋頃の曇りの日の午前中にどこかの古い公園のベンチにいて、風が落ち葉を運んでブランコを揺らしていて、その古い木でできたブランコが風にたわいなく揺れるのを見ながら山鳩の鳴き声を聞いている、みたいな光景をイメージしました。

 小林恭二は、「ふらここ」という題に込められたエロチックな含意が薄く「ゆさはり」以外のものでも歌が成り立つのではないか、と指摘していますが、一方で全体に完成度が高い歌である、と評価しています。

 

 

ブランコをにぎる手放し宙(そら)を飛び 大き手がしかと掴むまでを見き (ぐるぐる)

 

 「ぐるぐる」の歌は、空中ブランコですね。私はサーカスを見ている人視点で歌を読みました。つまり、空中ブランコが始まって、最初は飛ばないですよね。何度か揺らして、揺れて、どんどん揺れ幅が増していって、そして飛ぶ。ブランコを握る手を離して、宙に舞って、相手方がその手を掴む。そして、ほっとして大きな拍手をして、ようやく釘付けになっていた目をはずす、というふうに。

 小林恭二は、ブランコ乗りの視点であると書いています。しかも「掴むまでを見き」、だから掴んだ後はもう放心して見ていない、新人のブランコ乗りの歌であると。しかも、この「見き」は1日目同様「美紀」の意であり、奥村晃作が「新人」杉山美紀を再び歌に詠み込んだ挨拶歌であると読んでいます。

 

 

 この回、ほとんど議論の内容が書かれておらず、他の歌人の解釈が分からないのが残念です。。

 私だったら「七福猫」に入れるかな。ブランコと山鳩の組み合わせが面白いし、オノマトペがブランコの揺れを連想させて題意を汲んでいると思います。エロティックな含意について指摘されていましたが、「一郎次郎」も「ぐるぐる」もそんなエロティックではないし…。「少女」「大きな手で掴む」だけでそこまで汲み取るのはちょっと嫌だな、逆に。

 「一郎次郎」は井辻朱美、「七福猫」は河野裕子、「ぐるぐる」は指摘通り奥村晃作の歌でした。

 

 

 「ふらここ」がテーマだと、短歌もいくつか思い浮かびますが、好きなのは俳句です。

 

鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし (三橋鷹女)

 

は圧倒的に好きだし、最近『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』で知った

 

ふらここを乗り捨て今日の暮らしかな (野口る理)

 

もすごく好きです。ブランコの不安定さもエロティックな含意も全て乗り捨て、「今日の暮らしかな」っていう地に足の着いた詠みぶりに心惹かれます。

 

 

「落ちる」ってあなたが腕をつかむとき夜を横切るブランコになる (yuifall)