山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
中野昭子
かがやかぬ裏側見せて飛行機が夏の三時を過ぎゆきにけり
いま降りたる電車にわれの坐りいし席がホームを遠ざかりゆく
この人は、「ないもの」を見ているんだな、と思いながら読みました。飛行機の腹を見上げる時、「かがやかぬ裏側」って感じられるだろうか。ていうかむしろ見上げるとけっこう飛行機ってぴかぴか光ってますよね。多分、飛行機の裏側って上側なんじゃないかな。だって基本見ることないですからね。
「自分の坐っていた席がホームを遠ざかる」って発想も面白いなーと思いました。立ち上がった時点でその席は自分とは無関係なものになってそうですけど、ちょっと心残りがあるのかな。満員電車とかじゃなくて空席の目立つ電車で、自分の後には誰も座らなかったのかも。今出身地を確かめたら兵庫県立尼崎高校卒とあったのでけっこう都会ですね。
夏木立の暗き森へはまだやれぬこの子笑ふとまへ歯がなくて
この歌どきっとします。前歯がない子供は多分幼稚園~小学校低学年くらいで、「暗き森へはまだやれぬ」ってことはいつかは暗い森へ送り出すってことなのだろうか。いつ送り出すんだろう。前歯が生えた頃、ではまだ早いような気もします。
でもそういうこと考え始めると、世界ではまだひとケタの年齢で結婚させられたり働かされたりしてる子もいるんだよなーとか考えちゃって暗澹とした気持ちになるわ…(今ウクライナのことを考えてしまってなおさら…)。
夏木立の暗い森へ踏み入ってもいい年齢はどのくらいなんだろうな。守りたくても、子供が傷つくのはどうしようもないですよね。自分もかつて歩んできた道だから。そして、前歯が生えてしまってもう長い私は今その夏木立の深い森にいるんだろうか、と考えたりしましたが、もう「夏」どころではないような気もするしよく分かりません…。
子供関係の歌では
繰り返し強し強しと言われいるおさなみずから泣きじゃくり言う
幼きが死を望みいる人物の死なざるままに物語終わる
なんかがすごい身も蓋もなくブラックな感じで心に残りました。解説には
モノとモノとのぶつかり合いによって流れてゆく日常のクールな切り取り方が、何とも居心地が悪く印象的である。
と書かれています。
人間とモノとの関係についての冷徹な視線が行き届いている。(中略)その表現の仕方はとげとげしく、神経質とすら言える悪意を感じさせる。
ともあります。
首を振れドラムを叩け背の中の電池を早く使いきれ猿
魂のぬけしししむら焼き代は千円紙幣の三枚にて足る
なんて、確かに悪意を感じなくもないです。
血の薄き愛の喩として輝ける石はそれぞれ格付けされて (yuifall)