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現代歌人ファイル その49-清原日出夫 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

清原日出夫 

bokutachi.hatenadiary.jp

抗議デモのわれらに従ける警官の一人濡れつつ優しき貌す

 

 こういう気持ちすごくよく分かる。なんか、デモの映像見るたびに考えちゃうんですよね。デモ隊vs機動隊っていう構造って、どうしても機動隊=「体制側」と顔のない集合体としてとらえがちですけど、でも本当は取り押さえる方だって一人ひとりの人間で、それぞれの考えがあるはずだって。というか、デモをやる方はみんなそうしたくてしてる人たちだろうけど、取り押さえる側の警官はそうしたくてしてる人たちだけじゃないだろうと思うんだよな。家族とか色々あるし、嫌だとは言えなくて仕事してる人もいるんじゃないのかなって思います。「体制側」ってステレオタイプに押し込めず、こうやって一人ひとりを見る眼差しが優しくて、だけど実際デモに参加してる人がそんな優しい気持ちでいるとしんどいだろうなーとも思います。

 解説には

 

注目すべきは警官もまた労働者なのだと見る視点である。清原は平和のために権力への抵抗を見せながら、最後まで権力者は悪であると言い切ることができなかった。彼らの裏側にある生活の匂いを見逃すことができなかった。ある種のリアリストだったのだ。

 

とあり、そうか、リアリストだからこその目線なのか、って思いました。

 

麦刈る日続きて少し理解する土地墾(ひら)きし父の共産党憎悪

 

 解説にこうあります。

 

自分の手で土地を切り開いたからこそ革命思想を憎悪する父と、革命思想に没頭していく自分。(中略)大学を卒業した清原はその後長野県庁に就職。堂々たる「権力者」の側である地方官吏となり、最終的には企業局長にまで出世。長野朝日放送天下りまでしている。これは「転向」なのかもしれないし、人生かけてのドラマを演出する文学的意思表示だったのかもしれない。

 

私の理解がものすごく浅いのかもしれないですが、当時の「革命」っていわば「共産党」、つまり社会主義を目指すということですよね。だから、自分が切り拓いた土地は自分のもの、という、つまりは資本を独占する思想とは相容れないということになります。で、本人はお父さんの切り拓いた土地を資本として何か事業をやる資本家として生きたわけではなく、公務員になっているわけですから。これは革命思想と全く相容れないというわけではないのではないだろうか。社会主義の理想としては個人資産を有すること自体がダメなのかもだけど、サラリーマンよりは公務員の方が共産主義に近そうです。というかここにあるのは思想的挫折ではなく、社会主義そのものの矛盾なのでは?

 そもそも社会主義国家では全員が国家公務員であるはずですけど、公務員を「体制側」「権力者」ととらえるのは、結局は「平等」には分配する側とされる側という明瞭な上下関係が生じるという矛盾が背後にあるわけで。警察官、公務員を憎んでなぜ社会主義が成り立つと思うのか?ある意味、自分の「革命」の終着点として、土地を切り拓いてきた人たちの稼いだ税金で生きる、という道を選んだと言えなくもなさそうです。まあその後天下りまでしていることを考えると、単に革命思想から覚めただけとも考えられますけど。

 

麦藁の帽子に風を集むれば北国の風秋づくはやし

 

 「麦藁の帽子」というと夏がイメージされますが、北海道に生まれ育って長野で過ごした人だと思うと確かに「風秋づく」がしっくりくる気がします。金色の稲穂を揺らして風が吹き抜けていって、麦藁帽を手で押さえているイメージです。それにしても学生時代は立命館とあるので京都のようですが、学生時代に詠まれた歌は学生運動全開で、それ以前(北海道)あるいはそれ以降(長野)で詠まれた歌の方が、解説によれば

 

生い立ちゆえに青春と学生運動を混じり合わせることがなかなかできなかった清原の歌において、むしろこうした自然詠の方がどことなく青春歌の香りを宿しているところが、なかなか皮肉である。

 

と評されています。これらの歌はもしかしたら長野の公務員時代に詠まれたのかもしれず、「体制側」の人間になってからようやく心が安らいだのかもしれないと考えると、確かに皮肉なのかもしれません。

 

 

エイプリル・フール根雪の静寂より11月の薄き皮膚見ゆ (yuifall)