山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
正岡豊
この塩がガラスをのぼってゆくという嘘をあなたは信じてくれた
この歌読んで東京事変の『群青日和』思いだした。「嘘だって好くて沢山の矛盾が丁度善い」って。もしくは矢井田瞳の『Nothing』かな。
そう夢なのか本当なのかなんてどうでもいいの 愛してたから あなたが全部正しかった
こういうの好きなんだよなー。本当かどうかなんてどうでもよくて、きみが言うなら信じるよ、って。きみがそう言うんだからそうなんだよね、って。すごいツボです(笑)。そして絶妙にどうでもいいところがまたいいの…。この塩がガラスをのぼってゆくなんて嘘でも本当でもいいじゃない…。いや、嘘だったらダメなシーンはあると思うんですけど(科学実験の最中とか笑)、恋愛的な文脈では嘘でもいいの♡
この人の歌には、なんていうか、カリスマ的魅力を感じます。若い頃に出会ってたらめちゃくちゃはまってただろうなーって。
ひまわりの咲く高さよりなだれ落ち夜の欲望の果てに眠らな
「ひまわり」って太陽の下で明るく咲くイメージありますけど、この歌といい加藤治郎の「夜のひまわり」の歌といい、なんかちょっとセクシーな場面で登場しますね。「夜のひまわり」は多分彼女が上になってて、俯き加減で髪が下向きに落ちてて、っていう暗喩なのかなと思うのですが、この歌もちょっとそんな感じするなー。上になってる方がくずれおちるから、「なだれ落ち」「夜の欲望」になるのかなって。
「ぼくはぼくのからだの統治にしくじりしうつろな植民地司令官」
アメリカ文学やSFをモチーフにした歌も多く詠んでいるそうです。解説には
もうひとつ正岡の特徴といえるのはアメリカ文学と海外SFからの影響である。おしゃれな翻訳文体を持ち込みながら、短歌という伝統詩の中に仮想世界のリアリティをつくりあげていった。(中略)典型的な新人類世代であり、ポストモダン思想がサブカルチャー化していった時代の申し子のような香りがある。
とあります。この歌読んでて思い出したことがあって、しょうもない下ネタなんですけど、男女がお互いの身体の一部に自分の領地権を主張するような阿刀田高のジョークなんですが…。「ここ(どこかは察してください)はあたしのものね」、みたいな感じで「治外法権」を主張していたような気がしますが定かでない…。この歌では「ぼく」は「植民地司令官」なわけですから、自分のからだはそもそも植民地であって本土ではないんですね。本土はいったいどこにあるのだろうか。
『短歌タイムカプセル』で出会ったときも好きだと思ったのですが、今回読んでまたちょっと印象が変わりました。アンソロジーだけではやっぱり歌人の本質には届かないんだろうな、と思いましたが、アンソロジーでは編者がどの歌をとりあげているかというのも見られて面白いなーとも感じます。
だめだって、きみはみじかく息をつく、エリック・サティをくりかえしてる (yuifall)