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現代歌人ファイル その167-大谷雅彦 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

大谷雅彦 

bokutachi.hatenadiary.jp

夏の日のさびしき夕べかなかなとひぐらし蝉と聞きわけてゐる

 

 この人は1976年に現役高校生で角川短歌賞を受賞したということです。解説では

 

 「現代歌人セレクション 大谷雅彦集」に寄せられたエッセイによると、古典和歌にしか興味がなく、近代以降の短歌をほとんど読まない状態のまま歌を作り上げ、受賞に至ったらしい。(中略)徹底して自然の描写に徹することにこだわっている。その風景の中に人間を入れることを拒んでいるかのようだ。

 

とあります。てことはこの歌って高校生の時の歌なのかなぁ。なんとなくですけど、石川啄木

 

不来方のお城の草に寝ころびて

空に吸はれし

十五の心

 

を連想しました。高校生でこんな歌詠めるのすごいなって思う反面、高校生だからこそ感性が鋭いのかもという気もします。10代の頃の傷つきやすい心にはもう戻れないですもん。

 この歌を読んで、子供の頃、夏、田舎で蝉の声をきいていた時のことを思い出しました。なんだか分からないけどさびしかった。

 

らふそくの長き炎は揺れてゐる君の髪間の透きとほる色

 

秋の日のひざしが下に幼子は栗を手にして笑み満つるなり

 

 このあたりになるとすでに多分高校生ではないんだろうな。まあ、この「幼子」がこの人の子供であるとは限らないのですけど…。だけど若い人が、自分より幼い人間を題材に歌を詠むかなぁ。年齢を重ねたり、ライフステージが変わったりするたびごとに見える景色が変わってくるから、「徹底して自然の描写に徹していた」若いころから、「君」「幼子」が出てくる歌に変わってきたのかな、って感じがします。

 

デジタルの辞書の見出しを辿りゆく「見開き」のなき野を漂へり

 

 この歌を含む引用歌は、第一歌集以降に発表されたものだそうで、最初の「自然の描写」からまた変わってきていますよね。光森裕樹の

 

そよかぜがページをめくることはなくおもてのままにkindleをおく

 

を思わせる作品です。

 

 こうやって読んできて、単に、大人になって見えるものが変わったんだろうなーとしか考えてなかったのですけど、解説には

 

70年代半ば、近現代短歌のあり方を拒否し、古典和歌の世界に沈潜した少年がいたこと。それはおそらく歌によって時代と切り結ぶこと、現代人の代表のような顔をして創作をすることへの拒否だったのだろう。彼は時代の落とし子としての刻印をしたかったのではない。単に歌を詠みたかったのだ。その後長く歌集をまとめなかったのは、そうした「機会詠としての短歌」のムードが落ち着くのを待っていたからかもしれない。そして考えようによっては、それは前衛短歌に対する一つの批判のかたちでもあったのだろう。

 

とありました。ここまで考察できるのすごいなー。やっぱり、短歌の歴史とか知らないとだめなのかなぁ。同じ歌を読んでいても、これほどまでに読み取れる内容が違うというのは衝撃です。アンソロジーはいいけど歌集読むのはしんどいって思うのも、こういう背景の理解が足りないせいかも。だけど、多分背景なんて何も知らなくても楽しめる人もいるんだろうし、結局は性格かな…。

 

 ところでこれらの歌や解説を読んで、枡野浩一の『かんたん短歌の作り方』思い出したのですが、そこで枡野浩一

 

文語(古文)で書かれた短歌を教祖(注;枡野浩一のこと)は認めません。(中略)理由はいろいろありますが、あえて一個だけ言っておくと、つかい慣れた口語(日常語)でさえ自分の気持ちを的確に表現するのは難しいのに、勉強しなければつかえない大昔の言葉で、いい短歌をつくることなんか不可能だからです。(中略)日常語で勝負できるほど内容のある短歌をつくれないから、雰囲気だけ和歌っぽくして、何かを表現したような気分になってるだけです。それって、文法や発音のおかしな英語で得意気に歌ってる、洋楽かぶれの日本人みたいでしょ?

 

と書いてました。私の短歌歴(があるとすれば)の中ではこの文章に触れたのはかなり最近なので、こういう考え方もあるんだなあってちょっとびっくりしました。確かにそれもそうですよね。文語って、合ってるのかなあっていちいち調べたりするもん。

 一方で、穂村弘は何かの本(今ソース出せずすみません。多分『短歌という爆弾』だった気がする)で、紀野恵や水原紫苑のことを「彼女らは(勉強してという意味ではなく、)最初からこういう言葉の使い方ができたのでは」と書いています。この人(大谷雅彦)のように、古典和歌しか読まず、文語で歌を詠むことを枡野浩一はどう考えるのかなあ、ってふと思いました。

 

 まあ、小池光の

 

旧かながさまになりしは福田恆存まで丸谷でさへもちゃらちゃらくさく

 

なんてありますし、どれほど完成度が高くても、文語で歌を詠むということについてはやっぱり賛否両論があるのかもしれません。

 

 

ほうたるのか細き光清きまま河を残して子らは去りしか (yuifall)