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現代歌人ファイル その3-今橋愛 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

 

yuifall.hatenablog.com

今橋愛

bokutachi.hatenadiary.jp

日本中数えきれないひとがいて

そのほとんどに会わないでしぬ?

 

 この人も何度かアンソロジーで目にしているのですが、今回初めて接した作品もあり、これとかおおっと思いました。そうなんですね。まあ数えきれないとまでは言いませんが、だいたい戸籍に載っているくらいの数の人間がいて、そのほとんどに会わないで死にますね。

 最後が疑問形なのがポイントなんだろうな。「会わないで死ぬ」だとそりゃそうだろ系になっちゃいますからね。でも、もしかしたら今の時代はネット上ですごくたくさんの人と「会った」ことにできるのかも。そういう生き方も選べるのかもしれないって思います。

 

としとってぼくがおほねになったとき

しゃらしゃらいわせる

ひとは いる か な

 

 この歌見た時、なんかずーーっと昔に読んだ本のこと思いだした。タイトルも作者も覚えてないし、エッセイだったのかも何かの読者投稿欄を集めたものだったのかも小説だったのかも全く思いだせないのですが、その文章を書いている人は夫を亡くした女性(多分若くはなかった)と話してて、その女性は、夫の骨を土に埋めないで、たんすに入れてるの。「それで時々かき回したりするんですよ、話しかけながら」って言うんですが、そのシーンがすごい記憶に残ってて、でもそのシーンしか覚えてない。

 この歌の書き方、「散らし書き」って言うみたいです。「ひとは いる か な」の一文字一文字がばらけた骨っぽい感じがする。解説には、

 

今橋の歌世界を覆っているものはつねに「死」と「己の無力感」への恐怖です。何も出来ないまま、何か出来る力もないまま死んでゆくのだろう。そんな予感に打ちのめされるようにして生きている。

 

とあります。歌集を読めば、もしかしたらそういう歌が多いのかもしれません。でも、私は、これらの歌から「死」を恐怖だとはあまり感じませんでした。特に「骨」って乾いていて軽いし、あんまり生々しい感じしないもん。

 多分「骨」的なものの怖さって、その骨の背後にあるストーリーなんだと思うんですよね。本来墓にいるはずの骨と別の場所で唐突に遭遇したとき、そこに打ち捨てられた骨の持ち主の運命とか、打ち捨てた人の悪意とか、そういうストーリーを怖いと思うんじゃないかな。この歌の骨は「ぼくがとしとって」死んで骨になるわけだから、別に背景に悪意がないですもん。「しゃらしゃらいわせる」っていう言い方からは、子供が作るマラカスみたいな、軽やかでほんのり甘い感じがします。

 

 『ぼくの短歌ノート』でも紹介した「せんぷうき」の歌、

 

yuifall.hatenablog.com

もちあげたりもどされたりするふとももがみえる

せんぷうき

強でまわってる

 

これに関しても、解説には

 

「せんぷうき」の歌は性愛の歌ですが、幽体離脱的感覚のうえに8ミリで接写したような粗い映像イメージが浮かびます。セックスのときでさえあらわれる、ただひたすらに無力な自分の身体が異物のように客観的にみえてくる一瞬。

 

とあるのですが、私はそれほど悲壮感を感じませんでした。作者が実際どういう気持ちで作ったのかは分からないけど…。でも同じ歌を見ても、感じ方ってこんなに違うんだなってちょっと不思議に思いました。穂村弘も山田航もこの歌に無力感を読み取っているので、そうなのかもしれません。歌集における一首の位置づけをみれば、ああそうだったのか、って納得するのかも。

 

 ほんとに歌だけピックアップして読んだ時の、個人的な感じ方ですけど、自分が骨になったときしゃらしゃらするのは楽しいなって思うし、セックスの時に自分の身体が誰かに動かされるのも無力とは思わない。こういう「受動的」な身体感覚が、「男女の性的非対称性」「無力な自分の身体」という読みに繋がってくるのかもしれないんですけど、これは、「男/女」という関係性において女性が無力である、ということなんだろうか?

 以前『ぼくの短歌ノート』の「するときは球体関節」の感想で書いたように、私はこの歌にそれほど痛みの感覚や悲壮感、無力感は感じないんですよね。

 この歌読んで、サンキュータツオ春日太一の『俺たちのBL論』って本のこと思い出しました。全然関係ないテーマだと思うかもしれないんですが(笑)、この本の中で、BL好きのサンキュータツオと全然興味ない春日太一が対談してるんですけど、まあ最初は当然春日太一はBL的な発想に抵抗を示すんですね。やっぱLGBTQ+当事者じゃない、っていう感覚もあって、「男同士の絡み」っていう性行為に関する部分が受け入れられない。でもLGBTQ+当事者でないのはサンキュータツオも同じで、BLはそうじゃなくてファンタジーなんだ、っていうところから入るんですけど。

 で、徐々に春日太一の発想が変わっていって、つまり、「絡み」を考える時に、男性(攻)目線で受の男をどうこう…って考えるから無理ってなるんだけど、そうじゃなく、自分が受で、攻は女の子なんだ、って考えると、「絡み」を「関係性の面白さ」としてとらえられる、って言ってるんです。で、そこにはエロスがあると。「男が攻められる気持ちよさ」がBL以外でももっと描かれていてもいいと。

 なんかそれ読んでて思ったのは、男性も実はそんな能動的にがんばりたくないんじゃないかなーって…。「もちあげたり おろされたりする ふとももが見える」って詠ってるけど、実は男性もそうされたいんじゃないかなってちょっと考えました。無力とかじゃなくて、楽で楽しくて気持ちいいならその方がいいな、みたいな(笑)。女の子に「ふとももをもちあげたりおろされたり」するようなセックスがしたいって、実は男性も思ってるんじゃないのかなってその本読んで思ったんですよね。

 だから、「するときは球体関節」の感想で、この歌について「せんぷうきの回る部屋で会ってるんだから若い二人だろう」と書いたのですが、若い二人だから、必死に「男女」の関係性を演じている、って部分もあるのかなって考えました。女の子に対して主体的にかかわって、「ふとももをもちあげたりおろしたり」することでリードしなきゃって一生懸命考えてる男の子と、それに従順でありたい、って思ってる女の子と。無力さというよりも若さと、それに伴う必死さというか青臭さなのかなって感じました。

 

 前に『桜前線開架宣言』の感想でも書いたのですが、今橋愛の歌は最初なんかよく分からんガーリーなポエム?と思ったのですけど、作品を知るたびにどんどん好きになっていってます。スタイルも唯一無二だし、かっこいいなーって思います。リスペクト短歌作ってみた♡

 

 

これまでに 歯 を 4本ぬいたのです

だから

みつけてもらえます よね? (yuifall)