講談社 穂村 弘著 「ぼくの短歌ノート」 感想の注意書きです。
花的身体感覚
自分の身体および性欲を「花」に例える女性の自己愛的な性愛歌についての章で、「命短し恋せよ乙女」がテーマですね。まあ、要は(次回紹介されてる歌ですが)
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君 (与謝野晶子)
な感じですかね?正直「命短し恋せよ乙女」という実感がないままでちょっと「花」というにはおこがましい感じになってしまったため、今更何とも言いようがない感じですね…。
全存在として抱かれいたるあかときのわれを天上の花と思わむ (道浦母都子)
とか、すごいなあって圧倒されはするけど、実感できないもん…。これも次回のコーナー掲載の歌ですが、
その子二十歳櫛にながるる黒髪のおごりの春の美しきかな (与謝野晶子)
とか見てると、二十歳の頃だったら分かったかなーとか考えたりするけど、いや、二十歳の頃も短歌作ってたけど見直すとそんなんないわ。暗いのばっかや。こういうのって、時代感とか、性格とかありますよね、やっぱ。
ちなみに「命短し恋せよ乙女」っていうとヨースタイン・ゴルデルの『フローリアの<告白>』を思い出します。
Vita brevis
抱いて、いのちは短いのよ
って煽り文句と悲しすぎる内容が今でも忘れられず、あれで一時期ラテン語にハマりました…(とはいえ全然分からないけど)。
じぶんではたぶん出せない音域の声が掠れる いってごらんよ (yuifall)
ささやかな胸を片手にまさぐりつ「きみを図鑑に載せたい」と言ふ (yuifall)