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「一首鑑賞」-195

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

195.祈りつつ切手を貼るよ 性と心が癒着するしかない身を生きて

 (笠木拓)

 

砂子屋書房「一首鑑賞」で井上法子が取り上げていました。

sunagoya.com

 最初はLGBTQの歌なのかな、って感じました。Gleeを観てた時、どうしてセクシャリティアイデンティティに直結するんだろう、って考えていたから。でも、思春期に第二次性徴を迎えつつ心の悩みを抱えたりして、誰もが「性と心が癒着するしかない」身を生きるんだろうとも思いました。あるいは、真逆の解釈ですが、sex(身体の性)とgender(社会的な性)が癒着する、つまりはシスジェンダーであるという意味とも取れます。こう読むと、「ホルモンに振り回される僕」みたいになりますね。

 

 この歌を読んで、「切手を貼る」という行為それ自体が「癒着させる」行為でもあり、また、「どこかへ届いてほしい」という「祈り」でもあることを改めて感じました。圧縮すると、つまりは性と心が癒着したままの自分をどこかへ届けたいという祈りなのかもしれない。

 一般的に切手を貼って誰かに何かを送る場合、宛先は一カ所だと思います。だから素直に読めば、たった一人の人に届いてほしい、という祈りに思える。でも、誰もが「性と心が癒着するしかない身」を生きていて、そこで、たった一人の人に届いたらそれでいいはずがない、とも思う。だって「性と心」、ジェンダーというのは社会的性別だからです。更に突き詰めて考えると、癒着しているのは「性と心」というよりも、「肉体と心」なのかもしれないです。病気だったり、運動能力などが思うようにはならなかったり、違和感があったり、自分の美醜を受け要られるかとか、そういうのも全部含めて。与えられた肉体に精神はある程度規定されてしまう、と思うことがあります。脳も肉体の一部だからかもしれない。例えば私の肉体が男性のものだったら、(心が女性であろうがそうでなかろうが)今の私と同じ精神を持つはずがないですから。

 

 鑑賞文には

 

三句目以降がその内容をうけていると考えて読みを進めると、「性と心」が「癒着するしかない」という表現に突き当たって、わたしたちはハッとします。そしてまた、ほっとする、を味わいます。

そこで「癒着」という言葉で表現される、粘っこさ、苦しさ、痛さ、みにくさを想像する。目では「癒す」「着く」という、安心感を与えるはずの字面を追いながら。

そのとき、当たり前のように思っていた「何か」がぐらりと揺らぐのを感じます。

 

とあります。この文章、主語が「わたしたちは」と大きくされているのであまり共感しないのですが(少なくとも私はこのようには感じなかった)、「わたしは」であると仮定して考えると、面白いなと思いました。「癒着」という言葉から「苦しさや醜さ」を想像しながら、「癒す」「着く」という字面を見て、当たり前のものが揺らぐ、と。面白いですね。

 

 しかし、「癒着」は、傷が癒える過程で生じる線維化等の生体反応によって本来離れているべき周囲組織同士が固着する、という意味合いなので、「癒」「着」という字面には安心感というよりもむしろ「今は癒えた」過去の傷を読むべきなのではないかと考えました。傷つき、癒えることを繰り返しながら性と心が徐々に癒着していく。繰り返すたびに癒着は強固になっていく。その上、「本来離れているべき」場合に使われるのが「癒着」なんだから、本当だったら「性」と「心」は独立しているべき、と考えているのかもしれない。

 

 何にせよ「癒着」という単語一つでここまで考えさせるのすごいなーと思ったし、この人の歌に興味がわきました。

 

 

AIに生理はなくて肉体を超えていけない僕たちのこと (yuifall)