「一首鑑賞」の注意書きです。
196.いつか死ぬそのいつかを鳥は鳴き渡りあなたは夜へ踵を返す
(笠木拓)
前回笠木拓の歌が気になったのでググったところ、『橄欖追放』に記事がありました。
たくさんの歌が引用されていたのですが、その中で一番気になった歌がこれです。気になった、というか、Siaの Chandelier を連想したんですよね。
I'm gonna swing from the chandelier
From the chandelier
I'm gonna live like tomorrow doesn't exist
Like it doesn't exist
I'm gonna fly like a bird through the night
Feel my tears as they dry
I'm gonna swing from the chandelier
From the chandelier
私はシャンデリアからぶら下がるわ
シャンデリアから
明日なんかないみたいに生きるの
明日なんかないみたいに
夜を駆け抜ける鳥みたいに飛ぶわ
涙が乾いていくのを感じる
私はシャンデリアからぶら下がるわ
シャンデリアから
『橄欖追放』では、笠木拓の短歌が「今ここの〈私〉を生きる」というポストニューウェーブ感覚ではなく、「あの時は二度と戻って来ない」感ではないか、と鑑賞されています。それに共感する反面、この引用歌は「今ここにしかいることのできない私」の歌にも思えた。Chandelierはまさに「夜を駆け抜ける鳥みたいに飛ぶわ、明日なんかないみたいに生きるの。私には今しかない」こんな感じの歌詞だし、この歌も、「夜にしかいられないあなた、いつかはまさに今である」と言っているように感じる。
一方で、確かに、「夜に踵を返す」というのは、死を避けて過去へ逆行する、
〈今ここ〉に輝きを認めることができないならば、探し求める〈私〉の繋留点は過去か想像界の中にしかない。
ということなのかもしれません。ただ、実際は時間は戻らないわけだから、「踵を返した」その一瞬で世界が静止したような〈今〉にも思える。まあ、私は歌集を通読したわけではないので、この一首の印象にすぎませんが。
引用歌に「鳥」に関する歌が多いのも印象的でした。
青鷺、とあなたが指してくれた日の川のひかりを覚えていたい
飛ぶものを目で追いかけた夏だった地表に影を縫われて僕は
鳥はその喉に触れえず鳴くものを地上の声を飛び越えてゆく
カーディガンのボタンの上を揺れていた木彫りの小鳥まどべのひかり
サイトでは
印象に残った歌を引いた。過去形で詠まれていなくても、〈今ここ〉は失われることを宿命づけられているかのように描かれている。そのために夏の光がきらきらと輝く歌でも、色彩にはすでにセピアの影が忍び寄っている。
と解説されています。だから切なくノスタルジックに感じるのだろうか。8月の夕方くらいに静かなところで一人で歌集を読んでみたいです。
指先で引き裂くスカイ・スクレイパー私は鳥のように泣かない (yuifall)