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「一首鑑賞」-177

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

177.小せぇお~いお茶飲みやがって 小さいお~いお茶を飲むな

 (伊舎堂仁)

 

砂子屋書房「一首鑑賞」で永井祐が取り上げていました。

sunagoya.com

 こういう感覚ってどこから来るのかなぁ。ちょっと怖いなって思う。自分の知らない世界と繋がっていそうな感じもそうだし、何であれ何かを自信満々で言われると納得してしまう自分がいるのを知っているから。

 

 この歌は特にめちゃくちゃ好きってわけじゃないんですが(というか、めちゃくちゃ好きになったりするたぐいの歌ではないと思う)、永井祐の解説がとても面白かったのでぜひ読んでほしいです。

 「小さいペットボトルのお茶に違和感を持っていて、それを言い当てられた気持ちになった」みたいな記載にはそれほど共感しないのですが(違和感ある??)、後半がとてもよかったです。

 

ほぼ同じ内容が二度繰り替えされますが、ミニマムな変化がついている。

「小せぇ」→「小さい」、「飲みやがって」→「を飲むな」

ここはブーメランというか、小っちゃく言い方変えてんじゃねえよと言い返せる気がしますが、それも面白いのかな。

 

変化はするものの、「飲みやがって」から「飲むな」はむしろ表現的に貧しくなっていて、それも印象的でした。

 

ただ「飲むな」まで来てしまうと、けっこうやばい。

 

 この「やばさ」がポイントなのかなぁと。

 

「ロッカーを蹴るなら人の顔蹴れ」と生徒にさとす「ロッカーは蹴るな」 (奥村晃作

 

「もの言へぬロッカー蹴るな鬱屈を晴らしたければ人を蹴りなさい」 (奥村晃作

 

「ロッカー蹴る現場見付けたらその奴は停学に処す」と言ふことを識れ (奥村晃作

 

「ロッカーを朝昼さすり磨いたらニコニコ笑ふよロッカーちゃんも」 (奥村晃作

 

 これは全て穂村弘『短歌という爆弾』からの引用ですが、これら一連の奥村晃作の短歌に類似した狂気を感じます。何かエクストリーム的なことを言い切る「やばさ」。伊舎堂仁とか奥村晃作は「お~いお茶」「ロッカー」なのでそれが際立っているのですが、「人戀はば人あやむる心」の塚本邦雄にも似たようなスピリットを感じることがあります。これは格言というよりも「やばさ」なんじゃないか?って。

 

 やっぱり、自分の中の明瞭な狂気が他人に悪意として向かっている感じがやばいと感じるのかな。「飲むな」とか「人の顔蹴れ」とか。「人あやむる」も、愛し合っている相手とは限らないわけだし。実際に他者に干渉している気配は感じないのですが、平凡な一読者としては言う側に共感できない以上、言われる側として読んでしまう。まあ「ロッカー蹴るな」は分からんでもないけど「小さいお~いお茶飲むな」はどうだろう…。そして自分の中にこういう、些細だけど明確に許しがたいことってあるかなぁって考えるんですが、明らかな犯罪行為や一般的に忌避されるような迷惑行為を除外すると、とっさに思い当たりません。

 鑑賞文にある、

 

(前略)

以上はわたしの雑な生活感覚と偏見から導かれるようなロジックなのですが、一瞬一理ある気がしてしまった歌でした。一理無いんですけどね。一理無いことを言ってくるのが面白いところでもあって。

 

が笑えました。一理ないんですけど、それを言い切り型で断言してくるのが面白いし怖いんですよね。でも、こういう歌は詠めない、って憧れたりもする。ほんとに。

 

 

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