「一首鑑賞」の注意書きです。
164.列なりて入国審査待つ人らこの国の外にはみ出しながら
(香川ヒサ)
香川ヒサの歌は『短歌タイムカプセル』でも『現代歌人ファイル』でも出会いましたが、この歌は砂子屋書房「一首鑑賞」で黒瀬珂瀾が取り上げていたので知りました。
『現代歌人ファイル』でも、
フセインを知らざるわれはフセインと呼ばるる画像をフセインと思ふ
たとへもし世界が滅んでしまつてもそれも世界の出来事である
片足で五、六度跳べばかんたんに耳に入つた水は取れます
みたいな歌が引用されています。
なんとなく雰囲気的には
運転手一人の判断でバスは今追い越し車線に入りて行くなり (奥村晃作)
のような「ただごと歌」の系譜なのかな、と思ったのですが、香川ヒサの歌をそのように評しているのを見たことがないので、精神性が全然違うのかもしれない。冒頭に引用した歌も、「国の外にはみ出す」という表現が「ただごと」をはみ出しているのかなーって感じもします。この歌読んで、『ターミナル』って映画あったなーと思い出しました(見たことはない)。
鑑賞文では黒瀬珂瀾のアイルランド入国にまつわる雑感などが書かれていて面白かったです。最後に
いかんせん未入国状態は、己の存在が承認されないという恐怖を呼ぶ。ある意味、私たちの生そのものが、死後の国への未入国状態を続けているのかもしれない。私たちは常にどこかの国にいながら実は、どこかの「国」からはみ出しつつ生きている。
とあり、そういう読み方もあるのかあ、って感心しました。
色々と書いてありましたが、結果的にアイルランドへはスルーパスだったようです。
それにしても、「片足で五、六度跳べば~」みたいな歌を読んで思ったんですが、とりあえず五七五七七にしたものと、香川ヒサの歌や「ただごと歌」などと呼ばれる作品の違いって何なんだろう。
体調が悪いと何も楽しくないベッドに入って目をつぶりたい (yuifall)
みたいな感じでもいいのか(当たり前体操的な…)?いやでもこれは全然つまんないなって自分でも思うんですが、自分の能力では論理的に違いが説明できません。お気持ちが入ってる点が違うのかな。客観的事実だけで詠むとよい?いやでも
ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く (奥村晃作)
はただごと歌の代表歌として知られているし…。めっちゃ主観的ではないですか。そもそも「ただごと歌」と言われている歌と香川ヒサの歌の違いも分からんし、ちょっと今の私にはこれ以上「ただごと歌」の定義と戦うことができません。もっと見識を深めたいと思います。