「一首鑑賞」の注意書きです。
162.草原よりも草原をゆく雲の影 僕は言葉を用意している
(橋爪志保)
砂子屋書房「一首鑑賞」で永井祐が取り上げていました。
もともとは
永遠に生きるみたいな耳鳴りがきこえる それは熱心に聴く
という短歌の「一首鑑賞」ページで、この歌にもめちゃくちゃ心惹かれたのですが、その前の一首として紹介されていた冒頭の歌を、ひと目で好きになりました。
好きな歌って説明ができないときがあります。目の前に情景とか心情とかが画像で浮かんできて、それを言葉にしようとすると作品そのものに戻ってしまうというか。多分、自分の中ですでに完璧なんですね。これ以上言葉で説明する必要がないの。永井祐の鑑賞文がとてもよかったので、それを見てもらったらいいかもしれません…。
こういう歌を詠める人ってすごいなあ。ほんと、一瞬で自分も草原にいました。でも草原でも雲でも空でもなく、草原をゆく雲の影を見てるんだ。
用意している「言葉」ってどんな言葉だったんだろう。次の一首で「永遠に生きるみたいな耳鳴り」がきこえています。耳の奥から、自分の内側から響いてくる音。だからこの「言葉」も「耳鳴り」も自分自身との対話なのかもしれないんですが、自分自身を超えたメッセージに感じます。自分自身をアンテナにして何かと交信するみたいな。
こんな風に説明しちゃうとデンパっぽいですね…。でもそういうんじゃなくて、うまく言えないなぁ。誰でも、永遠と繋がったみたいに感じる瞬間ってあるんじゃないのかなって思うんですが、それをうまく言葉で捕まえてくれたような感じがして、なんだか切なくなってしまった。
陽の下を鳥がゆくならその影でいさせてほしい地べたを這って (yuifall)