「一首鑑賞」の注意書きです。
148.「夏苦しい」たった一言そう書かれたアルバム評を手に走り出す
(盛田志保子)
砂子屋書房「一首鑑賞」で永井祐が取り上げていました。
この「アルバム評」はCDアルバム、ということかと思います。いつの時代の歌か分かりませんが、データ販売とかの時代の前で、アルバム評が載ってるのは紙の雑誌。好きなアーティストのアルバムのことかな。最後の「走り出す」はCDを買いに行くところ、と鑑賞文にありました。言われてみれば確かにそうですね。私は単に「青春!RUN!」みたいな想像で止まってたわ。
「夏苦しい」って言葉がいいな、と思います。これって短歌の中で作った造語なのかな。それとも実際にアルバム評で使われていた言葉なんだろうか。私は音楽に関する雑誌を読んだことがほとんどないので、どういうノリで批評するのかよく分かりません。本当に一言だけの評価があるのかも分からない。
永井祐は鑑賞文にこう書いています。
なんとなく思い出すのは、
90年代末に「ロッキング・オン・ジャパン」などのレビューを読んでCDを買っていたころのことで、
そういう評は、必ずしもシャープな批評という感じではなく、またアカデミックな分析や位置づけでもなく、さらにアーティストの基礎・周辺情報を豊富に与えてくれるものでもなかった。
とにかく「好き」という気持ちを伝えるものだったり、さらにはこれが好きな自分の話が書いてあったりもした。
しかしとにかく熱量はあり、その熱は音楽の持っている熱と混ざり合って、そのまま延長したようなものだった。
この「アルバム評」はすごくそんなイメージです。
そうなんだー。90年代の雑誌に載っていた「アルバム評」は要は私がブログに書いているようなとりとめもない文章だったわけですね(笑)。そうなるとやっぱり「夏苦しい」は造語なのかな。
うまく説明できない言葉なんですが、多分みんな分かるだろうな、って感じもある。あるいは、その感じが分かる人とだけ共有できればいい、というものなのかもしれない。音楽もおそらくそういうものだと思います。
この解放感にも焦燥感にも見える、誰にも追われていないのに焦っている感じが、若い人の夏だ、って思った。今しかないって感じ。
この先の道を溶かしていくような言葉は青い炎となって (yuifall)