「一首鑑賞」の注意書きです。
159.電話中につめを切ってる 届くかな 届け わたしのつめを切る音
(初谷むい)
砂子屋書房「一首鑑賞」で永井祐が取り上げていました。
初谷むいは「えすか、あなたの夜をおもうよ」で好きになったし、
名前や歌集のタイトルを目にする機会がとても多い歌人なのですが、まだあんまりじっくり読んでなかったので、ここでまた出会えておおっ!と思いました。ぱっと見心惹かれる歌です。
この電話中に「つめを切る」という行為のぎりぎりの下品さ(あるいは下品じゃなさ)が絶妙だなと思いました。だってこれ、トイレだったら絶対無理じゃない??食事でもちょっとやだ。この「電話」はSkypeとかじゃなくて音声のみの通話だと思うんです。逆に映像ありだったら食事は普通だよね。オンライン飲み会とかあるもん。でも、音しか伝わらない状態だと、飲み食いの音はやだ。で、「つめ切り」はそこがぎりぎりな感じ。相手との関係性によってはぎりぎりアリかな、みたいな。
多分夜だと思うんです。夜中につめを切っちゃだめ、みたいな背徳感を共有する感じ。だから「届け」なのかなーって。
以前料理をしている最中に今じゃなくてもいいようなややこしい内容の電話が断れない関係の相手からかかってきて、「届け 料理をしている音(空気読めよ!!)」って思ったことありますが、そういうんじゃないんだよねー。つめを切る音が聞こえることによって、別にメリットはないの。でも届いてほしいんだ。
これは、あなたと一緒に暮らしたいね、の「届け」なのかなって感じました。「つめ切り」のプライベートさを共有したいという気持ち。
鑑賞文に
わたしは電話中に爪を切ったことない。体が固すぎてできない。
とあり、不思議に思ったのは、この「電話中につめを切る」行為について自然に「足の爪である」という了解が成立している点です。片手が塞がっていること前提?でも電話を肩と頬で挟んだ状態でしゃべっているか、ハンズフリーで通話しているかもしれず、別に手の爪でも構わないわけです。なのにどうしてか、うずくまって足の爪を切っている様子が思い浮かぶのはどうしてかな。固定電話世代の名残かな(笑)。
理由は分からないし「手のつめ」を連想する人もいるとは思いますが、「足のつめ」を想像することによってよりプライベート感が強まるような気がします。
永井祐は「字空け」にも注目しています。
今日の歌の三つの字空け、特に三番目が一番重要に思え、これによって歌が生きている感じがします。
という読みが面白かったです。
ちなみにこの歌は「春の愛してるスペシャル」という連作内の歌だそうで、そのタイトルの付け方に雪舟えまを連想しました。
深爪の手を取ることもしなかった「外科医をやめる」と言われたときに (yuifall)