「一首鑑賞」の注意書きです。
150.炎天下掃除のさなか後悔と仏教関係の本が湧きたり
(片岡総一)
砂子屋書房「一首鑑賞」で石川美南が紹介していた歌です。
鑑賞文には
暑い日に掃除をしていて、ふつふつと後悔が湧きあがってくる。掃除を始めてしまったことを後悔している訳ではなく、ただもう無暗に後悔している、という雰囲気。読み終えた記憶のない大量の「仏教関係の本」は、迷いに満ちたこれまでの人生を象徴するかのよう。経典などでなく、あくまでも「仏教関係」というライトさが、またトホホな感じだ。え、というかこの人、なんだってまた炎天下で掃除なんかしているんだろう。ここは一体どこだ?……なんだか、読んでいる私までくらくらしてきた。
とあります。
私、最初は、
「仏教関係の本が湧きたり」って面白すぎます。どこからか湧いてくるはずもなく、自分で買って放置していたに違いないのにこの言いぐさ。そのうえ全く悟りの境地にはほど遠そうなところもまた笑えます。
と書いていたのですが、よく考えてみるとこの読み方違うんじゃね??と思いました。
多分、「炎天下」なんだから野外ですよ。だから、ボランティアとか町内会の清掃とか廃品回収とかそういう感じで具体的には分かりませんが、真夏の日中に屋外の清掃活動に参加しているわけです。で、想像以上の過酷さに後悔しているところで、なんだかよく分からない「仏教関係の本」がたくさん出てくる。
これは、この人の本じゃないと思う。昔よく河原とかに成人雑誌が捨てられていた(と聞く)ように、清掃の担当区域内におそらく不法投棄されていた「仏教関係の本」なんだと思います。だから、こんなところにこんな本捨てるなんて何なの?ちゃんと読んでたらそんな行動しようと思わねーだろ!悟り開けや!マジクソ。っていう気持ちで、でも怒りってほどでもなく、というより怒るほどの元気がないと言いますか…。暑くて汗だくで後悔しきりの時に泣きっ面に蜂状態なんですが、「仏教関係の本」、逆に笑うしかねえわ、みたいな感じです。これはもう無我の境地で続けるより他ないでしょうね(笑)。がんばってください。
そういえば「地獄の釜の蓋も開く」って、「暑い」ことだと思ってました (yuifall)