「一首鑑賞」の注意書きです。
132.体臭のなき男かなと思いしが夢にはかなくよみがえりたり
(道浦母都子)
砂子屋書房「一首鑑賞」で魚村晋太郎が取り上げていました。
小説を読んでいて、匂いとか温度の描写があるとどきっとします。自分が何かを書く時って視覚や聴覚に頼った情景描写をしがちなのですが、人の文章を読んでいて、情景描写や心理描写の中にふと匂いや温度が差し込まれると、生々しい肉体の実在を感じます。
鑑賞文に
逢っているときは体臭のない男だと思っていた。
それが、物足りなかったのか、好ましかったのか。
どちらかというと、物足りなかったんじゃないかという感じが、一首からはする。
でも相手が夢に出てきたとき、ああこの男の匂いだ、とたしかに感じるものがあった。
その瞬間、男の全存在を抱きしめたように思えたが、それは夢のなかのことだった。
とあり、そうだよなあ、と思いながら読んだのですが、その直前に
最近は、体臭を消すためのスプレーなどがひろく使われるようになったが、好きな女性の匂いは、汗の匂いまでいとしい、と思う。
女性の場合はどうなのか。こういうことについてはなかなか本音を訊くことができない。
もちろん個人差だってあるだろう。
とも書いてあってときめきました。「好きな女性の匂いは、汗の匂いまでいとしい、と思う」って男性に書かれたら萌えるなー。まあ基本的に、匂いが好きな人に本能的に惹かれるとも言うし、好きな人の匂いが好きなのは当然の帰結なのかもしれないのですが。
それにしても、夢の中で匂いとかするかなぁ。あまり思い出せません。だからこそ、すごく羨ましくてこの歌に心惹かれるのかも。目が覚めた時にどきどきしているような夢を見ることってあると思うのですが、そういう時、温度はあったような気がするけど匂いはあったかな…。
前の阿木津英の歌もですが、
yuifall.hatenablog.comこういう、原始的感覚というか本能が研ぎ澄まされているような歌を読むと、すごい羨ましくなります。
すれ違った女の子はかわいかったけどビーフジャーキーの匂いがした
真空管を叩き割ってまた会いたいよ僕が分かるだろ? (yuifall)