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「一首鑑賞」-103

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

103.屋上で白く干されたシーツたち五月はきっと揮発する夏

 (鈴木智子)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で生沼義朗が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 「五月はきっと揮発する夏」という言葉に心惹かれました。五月が夏。最初はこの歌の背景を知らなかったので、長袖で過ごしている日々の中急に汗ばむような暑さが訪れる日本の五月、初夏というにはやや早い「夏」、を思い浮かべたのですが、「イラン、夏」という作品の一首でした。イランの五月だったんですね。

 そう考えると、頭の中の想像が一気に抽象的になります(笑)。イランに対するイメージが貧困だから…。砂漠の中の建物の上でシーツ干してる様子を想像したのですが、状況もはっきりしません。

 もともとの想像(日本の五月)バージョンでは、この「屋上」は病院なんです。よくフィクション作品でありますよね、病院の屋上で洗濯物干してて、怪我した主人公がお見舞いに来たヒロインと会話する最終回みたいな(笑)。現実的には病院の屋上にシーツなんか干してるの見たことないですけど…。まあ、でもそれなりに具体的な空想でした。でも「イラン」となるとまるでお手上げです。

 

 実際は、この「イラン、夏」という作品は、鑑賞文によると

 

掲出歌の収められている「イラン、夏」は「写真×短歌×コラム」の副題通り、イランのゴムという都市に短期留学した際の経験に基づいて読まれた短歌作品に、現地で撮った写真とイランについてのコラムが併載された一冊である。

 

ということだそうで、写真がついているんだとか。これで一気にビジュアルが具体化しますね!こういう光景なんだー、って分かって嬉しいような、「正解」があると知ってさびしいような複雑な気持ちになりましたが、どっちにしろ写真については入手できないので分かりようがないです。。

 

 こういう時、やっぱり、「作品」ってどこまでが作品だろうな、って思います。歌集や連作から一首抜いて読んでしまっていいのか、写真とコラボした作品の短歌だけを抜き出して読んでしまっていいのか。

 私が今思い浮かべている光景は作品の写真とは違うだろうし、作者が実際に体験したイランとも違うだろう。でも、多分、そこに確固としたビジュアルがあったとしても「五月はきっと揮発する夏」という言葉から思い描くものは人それぞれ違うだろうし、あるいは彼女と一緒に現地にいて同じシーツを眺めていたとしても「五月はきっと揮発する夏」なんて言葉は絶対に思い浮かばないだろうから、作品の全てを説明するために写真をつけたわけじゃないだろうし、歌は歌として味わってもいいのかな、って思ったりもしました。

 「揮発する」って言葉から、ちょっとアルコール臭いというか、薬品臭のする液体がひっきりなしに気体に変わっていくような「夏」を思い浮かべた。それは陽炎のような熱かもしれないし、巻き上がる砂塵かもしれません。でもそこには何か、ここにいる日常では接することのない匂いがあるような気がします。

 

 

サンダルの写真ばかりを撮っていた、5月、何度も振り向きながら(yuifall)