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「一首鑑賞」-225

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

225.友人と撃ち合うようにお互いの写真を撮りて旅を終えたり

 (北辻一展)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで山下翔が紹介していました。

sunagoya.com

 意味は分かるのですが、「撃ち合うように」にびっくりして思わず立ち止まってしまいます。でも、読み返すと、撃っているのは水鉄砲なのかな、って感じもする楽しげな歌です。写真を撮っているのは多分スマホなんでしょうが、「撃つ」という言葉から咄嗟に昔の使い捨てカメラを連想しました。「かしゃん、かしゃん、」っていう音に、シャッターを押す手触り。それとも、もしかしたら銃みたいに大きいレンズのついたカメラなのかな。「友人と」「お互いの写真」という言葉からはそこまで本格的なカメラの気配はしないのですが。

 最初読んだ時は、友達と2人で旅に出て、旅の間お互いの写真を撮り合いながら過ごした、ということかと思っていました。ですが、鑑賞文を読むとそうではないようです。

 

慣れた仕草ではなく、どこかぎこちなさと照れくささのいりまじるような光景である。結句が「旅のいちにち」などであれば、旅のあいだ、はしゃぎながら、じゃれつくように写真を撮るような姿も想像できるが、ここではこの写真を撮ることが、「終えたり」を決定しているので、そうではないのである。

 

 確かにそうです。「お互いの写真を撮りて旅を終えたり」とあります。つまり、最後に一枚ずつ撮り合ったというふうに読めます。そう考えると、水鉄砲じゃなくて本当に銃な感じもしてきます。最後の最後、(見たことないけど、想像上の)西部劇で平野で決闘するみたいに、互いにカメラを出して撮り合うみたいな。

 

「海辺の町」という一連にある一首で、友人と日帰りのささやかな「旅」に出ている。一連のさいごに「将来は友と異なるや」といううたがあって、それぞれの道へやがてわかれていくことを予感している。友との別れの兆しをふくんだ時間が、ここには流れている。

 

 一連の歌を読むと、こういう流れであるようです。別れの予感を胸に、「撃ち合うように」互いの写真を撮り合う。ここでようやく、「撃ち合う」のニュアンスが伝わって来るような気がします。

 

 こういう歌に出会うと、悩ましいな、と思います。一首でも読めるけど、連作で読むと意味の取り方が変わってしまうような歌。うーん、でも、「撮りて旅を終えたり」を正確に読むことができれば、他の歌を知らなくても「別れ」のニュアンスは読み取れるのかもしれない。もっと一つ一つの言葉の選び方、どうしてこの言葉を選んだのか、ってところを大切に読まなきゃないなぁと思わされました。

 

 

キスしたりできないひとを助手席にのせて ことばをだいじに選ぶ (yuifall)