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「一首鑑賞」-54

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

54.ねこバスが迎えに来ぬかと大きめの傘さして待つ雨のバス停

 (蔵本瑞恵)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で吉田裕之が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 この歌好きです。ほんと純粋に好き。となりのトトロのシーンですよね。傘を持たないで行ってしまったお父さんのお迎えに行って、雨のバス停で待ちながらお父さんの傘をトトロに差し出すシーン。鑑賞文には

 

「大きめの傘さして」。この「大きめの」が一首を一首にしている。「ねこバスが迎えに来ぬかと傘さして待つ雨のバス停」。内容は、これで完結している。そう、完結してしまう。しかし、「大きめの」が置かれることによって、一首が動き出す。大きめの傘を選んだ著者の心のありように、読者の心が共鳴していく。大きめといってもどのような傘なのか、なぜ大きめの傘を選んだのか、といったことはわからない。わからないからこそ、共鳴する。そして、その悲しみを感受する。

 

とあるのですが、私は最初、この「大きめの傘」はサツキにとってお父さんの(大人の男性の)傘は大きいわけで、それを持って行ったんだからそのことなんじゃないの?って考えてたんです。でも、よくよくそのシーンを思い返すと、サツキがさしているのは自分の傘(赤い傘)で、トトロに差し出したのがお父さんの「大きめの傘」、黒い大人用の傘です。てことは、サツキは「大きめの傘」さしてなかった。

 

 最初は、「大きめの傘」を選んだのはあのトトロのシーンがあってのことであって、「なぜ選んだのかがわからない」ということではないんじゃないかって思ったんですけど、でもこうやって突き詰めて考えてみるとやっぱり分からなくなった。

 鑑賞文に「共鳴する。そして、その悲しみを感受する」とありますが、今、大人になってしまった自分にとっては、「大きめの傘」は確かにあっても、それは小学生だったサツキがお父さんの傘をさすほどの「大きめ」ではないし、大人になってしまってやっぱりもうトトロには会えないんだろうと思う。ねこバスにも乗れないんです。だから、雨のバス停で大きめの傘さして立っていても、こどもと間違えられてねこバスが迎えに来てくれることはない。その「悲しみ」はあるのかなって思いました。

 

 ところで最近ジブリミュージアムがオープンしたというニュースを見たのですが、ねこバスは子供限定で大人は入れないとか…。そういう設備って、「あの頃乗りたかった」大人のためにあるんじゃないの?って思ったのでかなり残念でした。

 

 

おばあちゃん子供になってしまったよだからねこバス迎えにきてね (yuifall)