「一首鑑賞」の注意書きです。
425.空蝉の毀誉褒貶にとらわれず一日一日をじわりと生きむ
(上田正昭)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで一ノ関忠人が紹介していました。
分かる。分かるんですが、難しいよなぁ。
鑑賞文を読むと、
上田は近年、膀胱癌が見つかり「闘病の日々」を過ごす。その間に妻を亡くす悲しみを経験する。そうしたつらい時期を経たうえでの、今日のこの一首である。
「空蝉」は、この世、現実。人はあれこれ褒めも貶しもする。そんなものにとらわれずに一日いちにちをじわり、じっくり生きて行けばよい。長い人生の経験を重ねての、この思いである。
とあり、様々な苦しみ、悲しみを経てこのような境地に至ったのだということが分かります。
そういえば岡井隆の
『わが告白』なる自著の上に降りそそぐ批判の渦の中の春先
(岡井隆)
を都築直子が紹介していました。
短歌の雑誌を毎月読む人、『わが告白』を読んだ人、作者を知っている人は、どう読むか。たとえば私はどうかといえば、一読して噴きだした。岡井隆のサービス精神に拍手、である。ここまで律儀に自分の評判に反応してくれる人は、短歌界広しといえどほかにない。2011年刊行のエッセイ『わが告白』には、賞賛もあったはずだが、批判の方も少しばかりあった。
(中略)
自著を批判された者の態度としては、それについて何もいわない行き方があり、たいていの歌人はこちらを選択する。知らん顔で通す。大人の道だ。しかし、岡井隆は断固そうしない。そうしたくない。「自著の上に降りそそぐ批判の渦の中」などというフレーズを考えだし、歌に仕立てて発表する。自著タイトルにしても、ことさら出さずに、<わが書きし著書のめぐりに降りそそぐ批判の渦の中の春先>などとする手もあったし、雑誌発行時の短歌読者にはこれで十分通じる。しかし、そうしない。したくない。<『わが告白』なる自著>と身も蓋もなくそのものズバリをいう。いってしまう。それが岡井隆だ。
こちらは「空蝉の毀誉褒貶にとらわれまくり」の方の短歌ですが、これはこれでぶっ飛んでいて驚きます。いずれもとても真似できそうになく、自分の人間としての小粒さが情けなくもなりますが、こういう歌に出会ってすごいなーとか思ったりわくわくしたりして楽しいのでまあいいか。
生きるとは拘ることだ8月の終わりの日を劈く蝉時雨 (yuifall)