「一首鑑賞」の注意書きです。
52.友人がベジタブラーになったらしいならなくていいと思いました
(平英之)
なんだよベジタブラーって(笑)。この歌、すっごい真面目に突き詰めてしまうと肉食の是非(生命をいただくとは、そして地球温暖化問題、食糧問題とは)みたいな壮大な問題に発展してしまうのですが、そんなことはどうでもいいと言わんばかりの「ベジタブラー」です。この単語によって、「お前がどんな思想にかぶれてんのか知らないけど一緒に食事行くときに気をつかってめんどい」という非常に個人的な問題に終始している感が伝わってきますね。鑑賞文には
ベジタブラー。ミックスベジタブルの小さなつぶつぶをひとつひとつ食べてニコニコしていそうである。単なる記憶違い、言い間違いのたぐいなのだろうが間が抜けているのがとてもよい。
とあり笑いました。
以前、かなり大きい総合大学の一つのキャンパスのそばに住んでいたことがあって、たまーーに売店とかに行っていたのですが、ハラルフードとかベジタリアンフードとかメニューにあって、さすが留学生が多い大学は違うなーって思ったのを思い出しました。
この「ベジタブラー」って友人が言ってたのかな、それともこの人の造語かな?「らしい」ってことは、友達の友達がそう言っていたのだろうか。言い間違いとか記憶違いというよりも、ファッションベジタリアンを皮肉っているのではないかなって考えました。宗教あるいは信念に基づいたものでなく、ブームだからとか恋人もやってるからとかそういうノリの人。鑑賞文にも
ベジタリアンやヴィーガンになるならそれ相応の信条や健康への配慮あってのものだろうがベジタブラーには「ならなくていい」。
とあります。
友人が別にどんな理由で何に傾倒したってかまわないんでしょうが、「ならなくていいと思いました」という言い方からは「お前なにやってんだよ」みたいな、止めるでも積極的に介入するでもないけど明らかに否定的なニュアンスが感じられます。「お前みたいなのはベジタリアンじゃなくてベジタブラーだよ、もう、めんどくせえな」みたいな感じでしょうか。
だけどそれ、あなたが決めたことだよね?自己責任論言論封殺 (yuifall)