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「一首鑑賞」-2

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

2.クリスマス・ソングが好きだ クリスマス・ソングが好きだというのは嘘だ

 (佐クマサトシ)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で平岡直子が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 どっちだろう、って思うけど、どっちもなんだろうとも思います。解説にも、

 

掲出歌を前に、わたしはその映画を見ていたときと同じように、これはどちらも真実なのだろう、と想像している。人の思考は「クリスマス・ソングが好きだ」「クリスマス・ソングが好きだというのは嘘だ」を軽々と同時に抱えることができる。短歌はそれを抱えられない。何かものすごい矛盾が起こっているかのようにみせてしまう。だから短歌を読むのはおもしろいのだともいえる。

(中略)

矛盾した複数の内容を伝えられた場合は最新情報がより重視されるので、掲出歌の場合はあとからかぶさられる「嘘だ」のほうがメッセージとしては重く、また、字数も「嘘だ」側に多く割かれている、にも関わらず、先に書かれた「好きだ」のほうが打ち消されているようには感じられなかった。それは、「クリスマス・ソングが好きだ」の繰り返しがサビのように効いていること、四、五句目の字余りの句またがりがぶら下げる「嘘だ」の蛇足っぽさなどに理由があると思う。

 

と書かれています。

 この読みでは、同時に「クリスマス・ソングが好きだ」「クリスマス・ソングが好きだというのは嘘だ」が生じうる、ということを歌の構造から理論的に書かれていて、とても面白いなと思いました。確かに、最後に「嘘だ」と言っているにも関わらず、「クリスマス・ソングが好きだ」が反復される構造は、サブリミナル的というか、まあ好きなんだろうな、と思わせるものがあります。

 

 人間、同時に正反対の感情を抱くことは可能なものですが、それにしてももし「恋人が好きだ」「恋人が好きだというのは嘘だ」と書かれると、そんなこともあるんだろうけどさあ…、と思う反面ちょっと引くというか、そんなこと言われてもさ…みたいな気持ちとか、愛憎?メロドラマ?とか、いや、心理学的に二律背反うんぬん、みたいな感じになってしまいますが、「クリスマス・ソング」のいいかげんな感じがいいんでしょうね。解説にも

 

クリスマスソングにべつに憎悪があるわけでもなく、「クリスチャンじゃないのに」みたいな自省をするわけでもなく、ここにある「好き」も「嘘」もかなり儚いテンションなのだと思う。儚いテンションの対象として選択された「クリスマス・ソング」は、共感性がおそらく高い、上手いモチーフであるとともに、微妙にチャラいナカグロも含めて日本人的な軽薄さを体重をかけて肯定する態度でもあり、ここにはわたしも一緒に体重をかけたい。

 

とあります。あと、多分、「クリスマス・ソング」の期間限定感がいいのかなって気もしてます。

 

 私は、もしかしたらこの「好きだ」と「嘘だ」の間には時間差があるんじゃないかなって気がしました。というか自分自身がそうなんですが、10月31日にハロウィンが終わった瞬間から、クリスマスに対して何ら文化的裏付けがないにも関わらず日本全体がクリスマスムードに包まれることに毎年うんざりしていて、それでもクリスマス・ソングが流れると心がわきたったりもして。

 「クリスマス・ソングが好きだ」、は、クリスマス前までのわくわく感、「クリスマス・ソングが好きだというのは嘘だ」は、クリスマスが終わってしまって、もう全然聞く気がなくなってしまった後とも読めるなと。だって、クリスマスの時期以外にクリスマス・ソングってそうそう聞かないよね?

 それから、すっごくベタな発想ですが、恋人がいる時(っていうか楽しい時)は「クリスマス・ソングが好きだ」なんだけど、恋人がいないと(あるいはイライラしてる時とか)「クリスマス・ソングが好きだというのは嘘だ」になっちゃうということも考えられます。

 

 まあ、あんなにしょっちゅう2か月も流れてたらさ、いいなって思ったり、もううんざりって思ったりするよね、誰だって(笑)。

 

 

きみのこと過去ごと好きだ (過去なんか燃やしてきなよ、見ててやるから) (yuifall)

 

 

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