山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
竹村公作
変身のポーズをとりて「変身!」と叫べど男変身をせず
七人が次に集まる日程の調整をして今日は閉廷
万博の終わったあともなんとなく突っ立っており〈太陽の塔〉
身も蓋もなく笑える歌が多いです。そりゃあ変身はしないだろうし、太陽の塔に対して「なんとなく突っ立っており」って言い方、普通あんまりできないような。ですがもうすぐ再度大阪万博があり、太陽の塔はなんとなく突っ立っていたわけではないと証明される、のだろうか?
<太陽の塔>というと森見登美彦を思い出しますね…。そして実際見たことがないような気がする。見たことがあるのかもしれないが覚えていません。
作者は1949年生まれ、団塊の世代の人のようで、「我」でなくて「我等」である、という思想が根底にあるみたいです。解説によれば、そのために
「異なる人格が入れ替わる」というテーマの歌が多い。また、人格の同一性に疑問を投げかけたような歌も散見される。「私が私とは限らない」「私の知らない私もいる」「私は〈われわれ〉の一部でしかないのかもしれない」そういったメッセージが多数短歌によって発せられていて、基本的には一つの問いをひたすらに変奏し続けているだけの歌人ともいえる。
とあります。
タバコ屋の店先に来てうずくまる犬とわれとが入れ替わる午後
私も写っているといただいた写真に後ろ姿わたくし
デジタルの君を拡大してゆけば点点点となりてちりぢり
みたいな感じで、なんとなく
まだ会社に慣れないせゐかオフィスでは鏡と犬が区別できない (荻原裕幸)
を連想させます。その中に
突然に痴漢呼ばわりされたので彼は自分が男と知れり
という歌があってけっこうショックでした。以前『現代短歌最前線』の荻原裕幸の記事を書き換えたのは、この歌に出会ったことがきっかけでした。
でも、この時こんな風に書いてよかったのか今でもよく分かりません。
いつも、記事を書いてからかなり時間を置いてからそれを公開するのですが、それはあまり攻撃的なことをネットに上げたくないからです。時間を置いて読み返して、これはやめとこって言葉は削ったり書き換えたりしてます。でも、この記事に関しては何度も書き換えたせいで最終的には寝かせておく時間が足りず、冷静さを欠いていたような気もします。
女性がある一種の痛みとともに自分が女であるという理解を強いられるのと同様、もしかしたら男性も、何らかの痛みと共に、男であると自覚せざるを得ないことがあるのかもしれない、と、そう考えてもいます。
「団塊の世代」生まれであることを背景として「人格の入れ替わり」が詠まれる、と解説されていたように、
ベビーブームあれは一体何だった 嗚呼観覧車廻り続ける
団塊の我等連れ立ち階段を上りし処にある非常口
などが引用されています。ここにも「観覧車」の歌ありましたね。解説に
風刺とユーモアを効かせた作風が特徴であり、松木秀にも通ずるセンスがある。
とあります。団塊世代に生まれて、会社員をしながら短歌を詠み続けている、という背景が風刺とユーモアを生んだのかもしれません。
アナログの君を拡大してゆけばHuman Genomeとなりてちりぢり (yuifall)