山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
櫟原聰
りんごひとつ手にもつ時に空深く果実に降るは果実の時間
以前も書いたのですが、私、初めて出会ってすごく好きになったものになぜか既視感をおぼえることがあり、この歌も「絶対どこかで見たことがある!」と直感的に思ったのですがググってみてもヒットせず、単にそういう現象だったようです。
ほんとしょうもない感想ですけど、この歌読んで、なんていい歌なんだろうと思いました。この人の歌は派手ではないのですが、人間のシンプルな生き方に素直に従っているような感じがして、心が洗われる気がします。解説にも
読んでいて勇気が出るし、もっともっとやってやろうという気になる。どんな人生訓よりも、ごく自然にこのありのままの世界に寄り添っている姿に心動かされるのである。
とあります。
うつくしき匂ひかなでてわが食める瞳のごときレモンの楽器
「りんご」「レモン」はそれぞれ文学上で有名な固定化されたイメージがあるので、ある意味ではそんなに使いやすい単語ではないのですが、この歌もすっと読めてああ、いいな、って思いました。
恋の歌もすごく素敵です。
やはらかききみのくちびる濡れながらわれを見てをり正午の若葉
声にうたふ咽喉(のど)やはらかき夕闇をひとつ星きみにひたきらめかむ
樹に倚りて眠れるごとし一人の髪長ければ肩に触りて
恋の歌も瑞々しく爽やかで、誰かを愛して結ばれて、っていうことが一つの自然の流れであると素直に感じられます。
解説に
櫟原の歌を特徴付けるキーワードは「こだま」だろう。人間と自然を切り分けて対立させるような自然観には決して与しないが、人間が自然のなかに埋没していくような世界観もやんわりと拒否している。何よりも重視するのは人間と自然の対話。声をかければちゃんと響き返してくるという関係性を素直に信じている。
とあり、
群青の空のあけぼの呼びあへばこだまとなりて人ひびきゆく
といった「こだま」「ひびき」の歌が引用されます。
耳成の青菅山を過ぎゆきて神の三輪山へ向かはむわれは
自分の暮らす土地を愛し、そこで人を愛して生きていく、というまっすぐな明るさを感じ、読んでいると心が優しくなる感じがしました。
やわらかくツリーチャイムを揺らすごと綿毛を運ぶ蒼穹の風 (yuifall)