北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。
いかなる思慕も愛と呼びたることなくてわれの日記は克明なりき
「愛」という言葉で全てを説明することへの拒否なのでしょうか。いつ頃の「日記」なんだろう。若い頃(ほんとに、10代とかの頃)日記付けていたけど、その時「愛」なんて言葉を使っていたか覚えていないですね…。「愛」なんてリアルな言葉じゃなかったし、多分今日記付けたとしても「愛」なんて言葉は使わないんじゃないかな、日記には。
ちなみにその日記はありがちですが完全に黒歴史だったので水に沈めた後ガムテープでぐるぐる巻きにして捨てましたが、今後このブログも黒歴史になり得るわけで、自分とは学習しない生き物です。しかし、現代の思春期の子供たちは黒歴史を簡単に世界中に発信してしまう可能性があるわけで、大変な時代ですね。
無私の愛をわらへどわれらながくながく手つなぎて植物園をめぐりぬ
今度は「無私の愛」という言葉が出てきました。そんなものはないよ、って思いながらもお互いをいたわりながら植物園を歩く姿を想像した。でも、「無私の愛」っていう言葉からは恋人よりも親子が連想されます。もしかしたら「手をつなぐ」相手は子供なのかもしれないと思いました。うーん、だけど「われら」って表現、自分と対等な相手、って感じもするな。それに、相手が子供だったら「無私の愛をわらへど」とはならないと思う。むしろそれを手に重く感じながら歩くのではないのだろうか。
名を呼ばれしもののごとくにやはらかく朴の大樹も星も動きぬ
この歌は正直自分にはよく意味が分からないです。でも好きです。大いなるものへの目線って自分にはないものなので憧れます。
愛は恋の上位互換か しら梅のしづかな息の根を止めたき夜 (yuifall)
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