山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
五島諭
ラジカセの音量をMAXにしたことがない 秋風の最中に
この人の歌、すごいなって思いました。元記事読んでいただきたいのですけど、読んでるとめちゃくちゃ圧倒されます。本当に、圧倒的です。この歌なんて、頭をぶん殴られるような衝撃と共感でした。ラジカセの音量MAXにしたことないな!(今「ラジカセ」使わないですけど、まあそれはそれで)
そう考えると、ポテンシャルはあるのにやったことがないことっていっぱいあります。アクセルペダルベタ踏みして走行可能な最大速度を出してスピードメーター振り切ったことないし、舌とか唇にピアス開けてみたいけど開けてないし(婆さんになっていろんなしがらみから解き放たれたらやるかも)。
この歌は、穂村弘のエッセイ「言葉の金利」にも引用され、「ゼロ金利世代の代表歌」として扱われているそうです。やっぱりこの歌には人を振り向かせるパワーがありますよね。
歩道橋の上で西日を受けながら 自分yeah 自分yeah 自分yeah 自分yeah
とかもめちゃくちゃ圧倒された。これは、歩道橋の上で夕陽を浴びている今は俺が主人公!ってことなのかなぁ。歩道を広がって歩きながらアーティストのMVみたい、って思う気持ちとか(笑)。
しかしそれを自分yeah×4で表現するのはマジで非凡ですよね。私には絶対に思い浮かびません。こんな言葉はどこからも出てこないよ。
女の子に守られて生きていきたいとときどき思うだけ、六畳間
この歌も気になりました。男はつらいよだよね。だけど、「守る」「守られる」ってどういう意味だろうなっていつも思います。つまりは誰か僕を養ってくれる女の子はいないかなってことだろうか(笑)?「六畳間」だしさ、誰か白馬の王女様が僕を迎えに来てこの生活から連れ出してほしい、ってことなのかな。
個人的には、自分のキャパシティが及ばない部分を誰かに委ねることができるときに「守られている」と思うのではないかと感じるので、この人だって「女の子に守られて生きていく」ことはできるんじゃないかなー。自分の足りない部分、自分が苦手な領域を軽々と担ってくれる女性はいるんじゃないかしら。男の人もそうやって「守られて」いいよ、って思います。
あとはこの歌、
海に来れば海の向こうに恋人がいるようにみな海をみている
色んなところで目にしますが、やっぱり好きです。
あたしから飛んでっちゃえよハワイアンブルーの舌はプロペラ付けて (yuifall)