「一首鑑賞」の注意書きです。
19.クロアゲハ横切る木の下闇の道 許せなくてもよいのだ、きつと
(西橋美保)
元の鑑賞文では他の歌もたくさん引用されています。例えば、
吊るされていまだ死者ゐるかたちなる服の胸倉あたりをつかむ
義父に罵られ、殴られた経験が他の歌で述べられていますが、(中略)亡くなって間もない義父の服をハンガーからはずそうとした自分の動作にふと、胸倉をつかむという野蛮な行為を重ねてしまうのは、呪わしいことです。
それから、
ちちのひにちちにかきたるちちのゑをちちよろこばず小鳥なく空
という歌もあります。
許すことが救いになることもあるのでしょう。キリスト教でもそうでしょうし(だから「カノッサの屈辱」では謝りに来た皇帝を許さざるを得なかった、というのを読んでそうだったのかーと思いました)、仏教では、執着を捨てろと言います。でも、許せないこともある。そして、許せないことは自分を苦しめます。そんな時、「許せなくてもよい」と自分を許すことができれば、少しは救われるのかもしれません。
それにしてもこの「ちち」の歌、最後、何で小鳥なんだろう?と思っていたら、解説に
〈ちち〉の繰り返しが小鳥のさえずりへ意識をいざなうという技巧に感嘆もします。
とあり、あー、そうだったんだ!と思いました。小鳥のさえずりかぁ。内容がこんなに悲しいのにリズム感がよく、語呂もよく、この歌の良さをなんて表現していいか分からない…。この表現は短歌だからこそなんじゃないか、と思いました。
愛せぬなら通り過ぎよとニーチェ云ふ躑躅の赤の立ちのぼる道 (yuifall)