山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
尾崎まゆみ
光こそ永遠(とは)に崩れて星屑に奪はれてゐるたましひのこと
この記事は2011年の3月16日、東日本大震災直後に投稿されています。この人阪神淡路大震災をテーマに神戸を歌に詠んでいるそうです。
玩具箱ひつくりかへす感情の洪水の跡 うるむ神戸へ
解説には
尾崎が描いてみせたのは震災そのものではなく、破壊と復興の過程で別の街のようになってゆく神戸の姿である。たとえ震災前そのままの風景が戻ってきたとしても、記憶の中の神戸は戻らない。
とあります。
わたくしの思ひ出に創られた街角を曲がつて地下鉄に乗る
昼にいだかれ眠る元町歩道には割れし煉瓦の跡形もなく
などと詠まれています。
私は阪神淡路大震災について語る言葉を持たず、何と言っていいのかも分かりません。数年前に神戸の街を訪れたのですが、都市の賑わいを感じると同時に商業施設などの老朽化も感じ、逆に、すでに新しい街並みの歴史が刻まれていることに感慨を抱きました。もちろん、ご遺族の方々やあの震災を期に生活が一変された方など、完全な復興とは思われていない方もいらっしゃると思いますし、当然のことながら震災以前の街並みと全く同じではないでしょう。ですが、遠くから見ると、神戸は都市として蘇ってすでに歳月を重ねているんだと感じました。
あの災害からの教訓で建物の耐震化、免震化が進んだのですが、東日本大震災では地震というよりも大津波で多くの人の命が奪われ、また原発事故という状況も重なり、東北の沿岸部はもともと神戸と違って高齢化、過疎化の進んでいた地域だけあって、復興って何だろう、どうなったら復興と呼べるんだろう、と10年以上経った今も分からずにいます。実際、身内が被災していて、去年ようやくその地を訪ねたのですが、更地のままでした。住んでいた人はもうそこにはいませんし、今後もう二度と戻ることもないです。
震災以前の歌も紹介されています。
手をかざし見るプールサイドにわたくしの蜃気楼立つ微熱海域
FMとコラム雑誌と広告と今日オフェリアの名にみたび逅ふ
固有名詞をモチーフにした歌が多数引用されます。「ウォークマン」「山口百恵」などですが、これを山田航は「時代へのレクイエム」と評しています。
調整池の水の真上に青葉あり逆立の水底に青空
さらつと飲みやすい祈りとしあはせと曇る大空縛りつけても
尾崎は空に自由を見ない。それは水のように不定形で、触れれば壊れてしまうものなのだ。
と、解説されています。「大空縛りつけても」という言葉の使い方が新鮮で胸に残りました。
浜茄子はどこにでも咲く砂丘にも固定資産税ゼロの土地にも (yuifall)